ホタル/ほたる 【長野県・辰野】

 2014-06-11

「ほたるが見たい」
5歳の娘が突然そんなことを言いました。
それが20数年前、ある人から聞いたセリフと全く同じだったので、僕は最初、ちょっとびっくりしてとまどったのだけれど、結局、娘を連れてホタルを見に行くことにしました。

長野県の辰野という、山間の小さな町です。
諏訪湖から流れ出る、天竜川という激流で有名な大河が、まだ細く穏やかに流れる、伊那の谷への入り口に、そのホタルで有名な町はあります。
毎年6月の中旬から下旬にかけて、ホタルが最も華やかに飛び交う時期に、辰野の町は「ホタル祭り」という催しで、1年で1週間だけ、賑やかに彩られます。
僕たちは、その人混みを避けるように、ホタル祭りがはじまる前の日に辰野へと向かいました。
そう、あの時と同じように。

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あの時、僕も彼女も19歳で、関東の田舎にある、地元の駅前の予備校に通っていました。
今でこそ、浪人生は少数派になってしまったようですが、当時はまだ、浪人して大学に進学するほうが多い時代でした。
前の年の大学受験に失敗した多くの友達は、嬉々として地元を去り、東京での一人暮らしと予備校通いを始めました。それがステイタスのような時代だったのです。彼らにとって、浪人することに悲壮感は全くありませんでした。だから彼らから見たら、地元に残る浪人生たちこそ、地味で上昇志向のない、悲壮感ただよう人間に見えていたのかもしれません。

僕たちは、その予備校の「東大特別進学コース」というクラスにいました。もちろん東大進学者など、ここ数年聞いたこともない、名前だけのクラスでした。
そういう意味では、確かに、東京の予備校に通う人間が言うことに一理あったのかもしれません。ここに通うほとんどのメンバーは、地味で暗いか、苦学生か、大学に行く気があるのかないのかわからない人間か、のいずれかに見えました。

そういう僕も、午前中の講義も終わらないうちに、晴れた日には高校時代には乗れなかったバイクに乗って遠出をし、雨の日には駅前のパチンコ屋で時間をつぶし、そして晴れていようと雨だろうと、夜には必ず誰かの家に集まって麻雀をする毎日でした。
そんな中、彼女だけが、「東大特別進学コース」の誰とも違う輝きを放っていた唯一の存在でした。

ほたる、という名前のその女の子は、隣町の女子高の出身で、いつも教室の窓際の1番前の席に座って、熱心に講義を聴いていました。
4月の午前11時の光が、そして5月の午前10時の光が、ほたるの髪を栗色に染めるのが眩しくて、僕はよく、教室の入り口の前の、一番後ろの席から、窓際ばかりを眺めていました。僕が午前中に予備校に通っていたのは、そのためだけだったのかもしれません。

それは6月のある雨の日のことでした。
珍しく僕が午前中の講義を聞き終わり、昼休みに教室を出ようとするところに、ほたるがやってきました。
「あの、ちょっと教えてほしいところがあるんです」
予備校では、毎月の模擬試験の解答例を掲示板に貼り出していました。
当時、国語の解答例だけは、なぜか毎回僕のものが貼り出されていたので、現代文の解釈の質問を聞きにきたようでした。

僕とほたるが初めてまともに話したのが、その昼休みの喫茶店でした。
現代文の解釈の話しが終わった後、何を話したかは、あまり覚えていません。
ただ、なんで現代文がそんなにわかるのか、というほたるの質問に対して、いつも本を読んでいる以外はほかには何もしていない、と答えて、たまたま僕が持っていた本を見せたことはよく覚えています。
それは村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」という本でした。
「村上春樹にも『蛍』っていう小説があるんですね。読み終わったら、貸してください」
その本をほとんど読み終わっていた僕は、その場でそれを彼女に貸しました。

その2日後です。
「ほたるが見たい」と彼女が言ったのは。
僕が調べたところ、この町から一番近く、あふれるようにホタルが舞う姿を想像できる土地は辰野しかありませんでした。
一番近いルートなら200km、決して遠い距離ではないとはいえ、ホタル舞う宵の時間にそんな場所まで彼女を連れ出せるのか、無理だろう、そう思って彼女に言いました。
「辰野が絶対に一番だと思うけど、無理だよね。ほかを探してみるよ」
「ううん、そこに行きたい。ダメですか?」
「ダメじゃないけど、帰ってこられないよ、その日のうちには・・・」
「朝までに帰ってこられる?」
「朝までなら大丈夫だと思うけど・・・」
「じゃあ、行きたい・・・」
朝までなら、時間的には余裕でした。でも、朝までに彼女を離してしまえるかどうか、そのときの僕には自信がありませんでした。

金曜日の午後の講義を終え、僕たちはバイクで予備校を後にしました。
群馬から長野への峠道を越え、軽井沢を抜けるころまでは、梅雨の季節には珍しい、晴れ渡った爽やかな青の世界でした。佐久から諏訪への山道にかかる夕暮れの頃からだんだんと雲行きが怪しくなりはじめました。
「雨だと、ほたるはどうなっちゃうんだろう?」
初めてのバイクで、僕の背中にしがみついたままもう3時間、彼女の声が心なしか震えているように聞こえてきます。
「雨はわからないけど。。。気温が低くなると飛ばないって聞いたけど・・・」
「急ごう、雨が降る前に。ほたるが消える前に・・・」
ほたるは消えるはずないよ。だってここにいるだろ。僕の背中にちゃんと。
峠を登るエンジンの低音で、僕のつぶやきくらいじゃ聞こえるはずもありません。けれどそれを口に出しては言えませんでした。

夜8時。明日からのホタル祭りの出店や誘導看板の準備がひっそりと立ち並ぶ、静かな辰野の町を抜け、天竜川のほとりに僕とほたるは降り立ちました。
雨はまだ、落ちてきません。
バイクを降りても、ほたるはまだ震えていました。今日はそんなに寒いんだろうか?ホタルは本当に飛ぶんだろうか?

天竜川の橋を渡ると、辺りは灯りひとつない、闇に包まれます。
ホタルはとって光はコトバなのだと言います。だから自分以外の過剰な灯りを見つけると、人間が騒音の中では話すのをやめてしまうように、光るのを止めてしまうのだ、というのです。

だから行く手は本当の暗闇の中でした。ほたるが震えた手で僕の腕をつかんでいます。
ホタルはまだ現れません。
いくつもの、小さな沢を見下ろす小高い山道を、2人でおそるおそる進んでいきました。
「ねぇ、見て。あれ、あそこ。ねぇ、もしかして光ってる?」
光っていました。沢の岸辺の雑草の中で、かすかに点滅する光が見えました。
「ねぇ、降りよう。もっと近くに行こう」

ほたるが僕の手を引いて小道を駆け、勢いあまって雑草の端に脚を踏み入れる。
ホタルが舞う。
雑草の中から小さな光を点滅させながら、次々と川面へと飛び立ってゆく。
今までどこかで姿を隠していたホタルまでが、まるでほたると会話をするように集まって来て、光っては消え、光っては消える。
それは深闇に浮かぶ、線香花火のようだ。

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「あの、洋服全部脱いじゃっていい?・・・」
今は僕の背中ではなく、横にしがみついているほたるが、突然そんなことを言いました。
「ホタルに全身を包まれてみたいの。だから、ね?」
あたりはホタルの放つ微かな光以外は真っ暗で、たとえ彼女が全裸になっても、その姿は僕に見えるはずはないような気がしました。
それでもすぐにはうん、と言えずに、僕は黙って彼女のそばを離れ、ただあてもなく空を見上げるしかありませんでした。

厚い雲に覆われていた空は、いつの間にか晴れわたり、ホタル舞う川面に負けないくらいの光の洪水でした。
彼女が纏うホタルの衣装のせいなのか、それとも天高く流れる星の光のせいなのかわかりませんが、誘惑に負けてほんの一瞬、覗き見た彼女の全裸姿は暗闇の中から透きとおるように青く浮かび上がり、僕の目にいつまでも焼き付いて離れませんでした。

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20年ぶりのホタル祭りの前夜は、昔より随分賑やかになっていました。
町のメインストリートは歩行者天国になるらしく、夜を徹して出店の準備が行われ、天竜川のほとりには大きな駐車場やテントが設けられ、前夜だと言うのにたくさんの人がホタルの道を歩いていて、人々の持つ小さな懐中電灯の灯りをホタルの光と見間違えてしまうくらいでした。

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「あ、ほたるいたいた。ここにひとつ、あっちにも。キレイだねぇ。」
5歳の娘はそう言います。
「でもね、パパは昔、もっといっぱい飛んでるのを見たことがあるような気がする」
「へぇ~いつ見たの?どこで見たの?」
「忘れちゃったなぁ。もしかしたら夢の中だったのかなあ・・・」
「な~んだ、パパ。夢かぁ」

そう。あれは夢だったのかもしれないね。
でもね、あのお空を見てごらん、あの星は夢じゃなくって、パパが前にも見たことのあるお空とおんなじだよ、きっと。




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