坂道、古民家、海からの風 ~男木島/瀬戸内島たび②  【香川県】

 2014-06-29
女木島があれば、もちろん男木島もあります。
読み方は「おぎじま」。「おとこぎじま」ではありません。

だけど、誰もがしそうなその勘違いを、ちゃんと見越して企画された「男気プロジェクト」というアート作品も島内にありました。
この男木島、人口はたったの190人とちょっと、島内はすべて徒歩で回れてしまうくらいの小さな島でしたが、僕にとっては今回の島たびの中で1、2位を争うお気に入りの島になりました。

見てください、この道。
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島の平地は港沿いのごく限られた地域にしかないため、こうした路地が島中の至る所にあります。
むしろ、これらの道がこの島のメインストリートだ、といってもいいかもしれません。

坂道沿いに立つ古民家(島を出て行ってしまったか、この地で人生を全うした住人が残した昔ながらの住居)のいくつかが改築され、アート作品となっています。


「SEA VINE」
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AIR DIVER (エアーダイバー)
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記憶のボトル
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島の家はどの家も高台にあるので、瓦屋根越しに海が見えます。
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こんな坂道しかない島に住むのはおじいさん、おばあさんがほとんど。
いったいどうやって生活しているのか、と思っていたら、彼ら彼女らの必需品、オンバ(乳母車)にカラフルなペイントを施したアートなんかもありました。
ときどき、坂の途中で島のおじいさん、おばあさんを見かけることもありましたが、都会の便利な生活をしている人たちよりも、よっぽどみんな元気そうに見えました。


男木島のアートのハイライトの一つ、男木小・中学校プロジェクト。
対象となる生徒が現在は一人もいないため、休校中の男木小学校・男木中学校の校舎を大胆にいじって遊んでいます。


廊下にはいきなり挑戦的な絵が。
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「肉体塾」
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ここでは毎日がお楽しみ会みたいです。

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教室に入って、スイッチを入れると、ディスコに早変わりです。

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海を見下ろす校庭で、毎日が、キャンプファイアー?

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もう一つのハイライト、「歩く方舟」
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海の向こうに見えるのは、たぶん女木島でしょう。



まだ午前10時だというのに、少しの手加減もなく照りつけてくる8月の太陽。
水をがぶがぶ飲んで、汗をだらだら流しながら登った坂道。
古民家の屋根越しに見える青い海。
もうだめだ、と思う頃に、吹いてきて、つかの間の涼気を与えてくれる気まぐれな風。

そのどれもが、忘れられない男木島の思い出です。

<2013年8月訪問>


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ワンダー感満載!伝説の鬼ヶ島 ~女木島/瀬戸内島たび① 【香川県】

 2014-06-28
しまなみつながりで、今回から瀬戸内の島々についての旅行記です。

瀬戸内海の島々を舞台に、3年に一度開催される現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」。
その第2回目が開催された2013年の夏、瀬戸内の島々を巡りました。

それ以前も、直島や小豆島、淡路島あたりには行ったことがあったので、この旅ではこの芸術祭がなければ、まず上陸しないような小さな島々を巡ったのですが、それがまた素晴らしいところでした。
この旅をきっかけに、瀬戸内の島々は、僕の中ではかなり高いランキングに位置する地域になりました。



スタートは、瀬戸内国際芸術祭(以下略称:セトゲー)の本拠地というか玄関口である高松から。

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高松港にあるモニュメントが、島々に向かって立っています。
ちょうどいい感じに船が通りがかってくれました。


フェリーも、もちろんセトゲー仕様です。

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最初に行ったのは女木島。
高松港を出て15分もすると小さな島の集落が見えてきました。

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港につくと、まるで骨董品のようなボロボロの乗合バスが待っていて、係員のおっちゃんに、島で一番の観光スポットに行くからとにかく早く乗れ、と言われて山の上まで連れていかれると、こんなものが見えてきます。

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そう、ここは別名、鬼ヶ島。

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桃太郎が鬼退治に向かった島といわれていて、鬼が住んでいたされる大洞窟には鬼の宴の間や、牢屋跡など様々な仕掛けがある、ということでしたが。。。

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ワンダー(=B級)な香り、たっぷりですね。。。


あぁ、やっぱり。。。

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ちなみに、これはアートだそうです。

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それでも、島の頂上からの眺めはなかなかでした。
この、のんびりした感じが、いかにも瀬戸内ですね。

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三角の山の向こうに高松市街が見えます。

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山頂から歩いて島を下りながら、アートをめぐります。
これは「女根(めこん)」という名の作品。
休校中の小学校に作られたアートですが、残念ながら営業時間が終わってしまい、外からの見学。
すぐ近くに海水浴場があるらしく、民宿が数軒とキャンプ場のようなものがありました。

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港にもいくつかのアートがあります。

「20世紀の回想」
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「カモメの駐車場」
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これは芸術祭のアートではなく、港のモニュメントのようですが、なんだか乳首がいやらしく見えるのは僕だけでしょうか・・・。
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夕方の船で高松に戻ります。
高松港でも芸術祭に関連したイベントをやっているのですが、この日はバングラディッシュの人々が、なんだか車磨きをやってました。。。塗装が完全に剥げて、確かにピッカピカでしたが、これもアートなんでしょうか・・・・・
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つづく。



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初しまなみサイクリングのこと 【広島県・生口島】

 2014-06-25
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しまなみ海道を初めてサイクリングしたのは、2013年の8月。
夏休みの家族旅行で中国・四国9日間という、ヨーロッパ並み(!)の日程で国内旅行をした時のことでした。

僕一人だけならば、しまなみ海道サイクリングロード70kmにチャレンジしてもよかったのですが(嘘)、なんといっても酷暑の真夏だし、嫁子供も一緒なので、無理のない距離にせざるを得ませんでした。
悩んだ挙句、アートの島、と呼ばれる生口島の美しい海岸線を走って、多々羅大橋を抜ける12、3kmのコースがアップダウンも少なくよかろう、ということになりました。

前日、錦帯橋に宿泊した後、広島県の三原からフェリーで生口島の瀬戸田港まで渡ります。

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50人乗りくらいの小型船でしょうか、観光客はほとんど乗らなそうな船でした。船が出航すると、係のおじさんが大きながま口みたいなカバンを下げて乗客から運賃を集金しに来ました。瀬戸田港まで約30分、800円です。

瀬戸田港は生口島の中心となる港で、今は尾道市に編入されているようですが、昔の瀬戸田町の中心だったところです。
町の中心部にしおまち商店街、という渋い通りがあり、サイクルツーリストたちの休憩場所になっているようです。

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ちょうどお昼の時間だったので、瀬戸田名物のレモンラーメンを食べました。
瀬戸田は国産レモン発祥の地で、レモンアイランドとも呼ばれているそうです。レモンエキスを塩ラーメンに浮かべたのがレモンラーメンで、黄色い麺(これもレモンエキス入り?)で、スープ味はさっぱりしていておいしかった。。。という記憶があります(笑)

レンタサイクルを借りる前に、瀬戸田に来たら寄らなくてはならないところがあるのです。
それは、耕三寺(こうさんじ)。

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なかなかでしょう?
どこかで似たようなものを見たことありませんか?
そう、これは日光東照宮を模して建てられたようです。
なんでも昔、一代で身を立てた「耕三」さんという方が、生口島に住んでいて亡くなった母親を弔うために僧籍に入り、建立したお寺だそうですが、とにかく日本各地の有名建築を模した建物が満載。
模倣もここまで来ると見事というかあっぱれというか、まあ僕にとってはB級スポット感満載です。
(実際は国の登録有形文化財として登録されているもの数多く、近年は高い評価を受けているようです)


B級スポットによくありがちな胎内巡りとかもちゃんとあって
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これも、お約束通り。
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救世観音大尊像(という名だそうです)
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さらに奥のほうには、なぜかかなり地中海っぽいエリアが。
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未来心の丘(みらいしんのおか)と言うそうです。

でも確かに頂上からの眺めは地中海っぽいといえなくはないかも。
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そんなこんなで、この耕三寺、結構見どころが多くて、かなり時間を過ごしてしまいました。
あわてて瀬戸田観光案内所のターミナルでレンタサイクルを借りて、生口島の海岸を走ります。

海岸沿いのサイクリングロードを走ると
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だんだん多々羅大橋が近づいてきました。
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これは多々羅大橋を下から見上げたもの。
ここで手を叩くと、日光東照宮の鳴き龍のように音が何回にも渡って反響する「多々羅鳴き龍」といわれるところです。
その理由は忘れましたが、どうやら塔の形状からくる現象のようです。
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渡り終わったところからの写真。向こう側が生口島です。
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多々羅大橋を渡り終わると、すぐに多々羅しまなみ公園のサイクルターミナルがあり、何とか時間内に返却。
死ぬほど暑くてお茶のペットボトル3本くらい飲んだけど、ときどき潮風も心地よく、楽しい初しまなみサイクリングでした。

                                                          <2013年8月訪問>


(おまけ)
瀬戸田港にあったポスター。  「おしい広島」応援してます(笑)
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おじさん@しまなみサイクリング 【広島~愛媛】

 2014-06-24
先週の金曜~土曜は会社のオフサイトミーティングで、道後温泉へ行きました。

なんじゃそりゃ、とお思いでしょうが、簡単に言ってしまうと、
「たまには会議も都会のビルの中だけじゃなく、いつもと違う場所で、いい空気吸いながらやろうよ。
 そうすればみんなのやる気や結束も高まるし、いいアイディアもザクザクでてくるでしょう?」
ということで、毎年この時期に行われる恒例行事なんです。

今年のメインイベントは、会議前のしまなみ海道サイクリング。
とても全部お見せできるものではありませんが、こんな感じで、おじさんたちも頑張って走ってました。
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なんというサイクリングに不似合いな格好、とお思いでしょうが、あくまでも会議前のアイスブレイクなので、そのあたり、お許しください(笑)

広島まで飛行機、そのあと貸切バスに乗り換えて尾道からしまなみ海道へ。
しまなみ海道は、四国愛媛・今治と広島・尾道を結ぶ全長約70kmの道で、日本で初めて海峡を横断する自転車道(瀬戸内海横断自転車道)が設置されたことにより、昔からサイクリングのメッカです。

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もちろんおじさんたちが全行程の70kmをいきなり走るのは無理なので、今回は愛媛県側のゴールにほど近い、大島の「よしうみいきいき館」というサイクルターミナルから、来島海峡大橋を越えて四国本土に入ったところにある「サンライズ糸山」までの約7~8kmというほんのわずかな区間でしたが、天気もまずまずで、なかなか楽しかったです。
cyclingmap.gif © Imabari District Sightseeing Association

渡り終わったところから望む、来島海峡大橋。
来島海峡大橋は3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊り橋で、全長は4105mだそう。
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僕は瀬戸内が大好きで、実は昨年も夏の家族旅行でしまなみサイクリングをしていましたので、次回からそのあたりの旅行記を書きたいと思います。




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僕と彼女の世界遺産 ~高山社跡 【群馬県/藤岡市】

 2014-06-21
群馬県にある、富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されることになりました。

その、「絹産業遺産群」の中のひとつに、高山社跡、という小さな史跡があります。

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ここは養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた高山長五郎という人の生家です。

富岡製糸場は、それなりに大きな建物で、多少は見どころもあるようですが、この高山社跡は昔の民家のような建物が1棟あるだけです。
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たぶん、来た人は100%「えっ、これが世界遺産?」と思うような地味な史跡です。

この高山社跡は、僕が昔住んでいた町の、山の奥のほうにあります。

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僕の中学校時代、「高山3人娘」と呼ばれる同級生の女の子がいました。
彼女たちだけが、唯一、この高山社跡がある「高山」地区から遠路はるばるバスで30分もかけて通学していたからです。同じ校区にあったとはいえ、そこだけがまるで別世界かと思えるほど、僕たちには遠く、未知な場所でした。



高山3人娘は3人とも全くタイプの違う女の子でした。

1人は、わりと優等生タイプ。すらっとした外見に、物静かで、勉強もそこそこできる女の子。

もう一人は、田舎の典型的なやんちゃな女の子。格好も、行動も、限界を超えないレベルでツッパっているけど、どことなくあか抜けない感じで、なおかつ基本的にはやさしいので、本当の極道にはなりきれない女の子。

そして3人目は、実にのどかで、純朴な女の子。町の生徒たちとは時間の流れもモノの価値観も全く違っているようでした。おかっぱ頭で器量もよいわけではなし、勉強もスポーツもどちらかといえば苦手なようでしたが、どこか人をホッコリさせるものがあったのでしょう、今で言ういじられキャラのようにみんなから、からかわれながらも、楽しそうに過ごしていました。

3人とも、普通に教室で過ごしていたら、それぞれがまったく異なるグループに属して、あまり接点はなさそうですが、小さい頃から3人でずっと一緒に過ごしてきたせいか、毎日、行きも帰りも仲良く3人でバス通学していました。



僕は3年間で彼女たちとそれぞれ1回づつ同じクラスになりましたが、今でも一番記憶に残っているのは、3番目の女の子です。

彼女とは1年生のときに同じクラスでした。
入学早々、自己紹介を兼ねて、朝の学活で全員が3分間スピーチというのを行ったのですが、彼女が語った「山の生活」はその想像を超えた純朴なキャラクターと語り口でクラス中が大爆笑だったことを覚えています。



3年生になったある夏の日、1学期の期末試験の最終日だったような気がします。
午前中で試験が終わり、いったんは家へと向かった僕は、途中で忘れ物をしたことに気づき、教室に戻ったのですが、その時に隣のクラスの席にひとり坐っている彼女の姿を発見したのです。

彼女は訳あって、午後一番のバスに乗り遅れてしまったようでした。
高山に帰るバスは1日たった3本しかありませんでした。朝1本、昼過ぎに1本、そして宵に1本。
次のバスまで、あと5時間もある、というのです。

それはちょっとかわいそうだな、と思いつつも、彼女を残して再び家に帰ろうと歩き始めたとき、なぜだかふと、高山という未知の場所まで行ってみるのも悪くないな、という気がわき起こりました。

歩いて帰ったことがないからわからないけど、家まで20キロくらいあるよ、と彼女は言いました。
でもそれは、高山まで歩いて行ってみようか、という僕の突拍子もない提案を、否定する口ぶりではありませんでした。

途中で疲れてギブアップしても、結局乗るバスは同じだから、まあいいか。
大らかな彼女にとって、そんな気軽な感じだったのだと思います。

中学校を出てからしばらくは比較的平坦だった道は、1時間ほど歩いて車の往来の多い県道を外れ、高山へと向かう一本道に入る頃からだんだんと勾配を感じるようになってきました。
7月の午後2時の日差しは今ほど強烈ではなかったにせよ、テストのためずっしりと教科書を詰め込んだカバンを抱えて、ほぼ真上からこれでもか、とばかりに照り付けてくる太陽の下、日蔭もない山里の一本道を歩くのは、さすがに楽ではありませんでした。

それでも彼女は文句ひとつ言うことなく、まる昔話の絵本のような山の暮らしをずっと話し続けていました。

野ウサギ、タヌキ、カブトムシ。
クワの実、野イチゴ、山ぶどう。

ずっと向こうのアスファルトに、まるで水が撒かれたように、透明な液体のようなものが揺れているのが見えました。そうか、これが世に言う蜃気楼なのか、と僕はその時はじめて気づきました。
彼女の話は子守唄のようで、まるで夢の中でその言葉を聞いているような錯覚さえありました。年の近い友達が少なくても、ゲームセンターどころか、駄菓子屋さえなくても、なんだか人生は十分事足りるような気さえしてきたのでした。

彼女の通っていた小さな小学校(小学校ももちろんバスでの通学でした)を過ぎると、人家は極端に少なくなり、渓流に沿った一本道は、両側から山が迫ってくねくねと曲がりはじめました。
それと同時に、あまり縁起の良くなさそうな雲が、いつの間にがじわりじわりと空を覆い始め、遠くから上州の夏の風物詩、雷鳴が聞こえ始めました。

学校を出て2時間。ちょうど10キロくらい歩いた頃でしょうか、ポツリポツリ、と落ちてきた大粒の雨は、最初の10秒ほど、僕らの様子をうかがうように遠慮がちに降り始めましたが、次の10秒でアスファルトの全面を濡らしてしまうほど激しく豹変したのでした。

僕たちは慌てて近くにあった大きな門の屋根の下に逃げ込みました。
横殴りの雨を避けようと、屋根の下のわずかなスペースに背中を張り付けると、彼女の濡れた肩が僕の左の二の腕に触れました。

稲妻や、突風や、意地悪な水鉄砲から放たれてくるような攻撃的な雨が、容赦なく僕たちの逃げ道を狭め、それを避けるためには、もう僕と彼女が折り重なるしかない、というレベルまで追い込まれたところで彼女が言いました。

このお屋敷の中に入ろう。たぶん、誰もいないと思う。
ここは高山の昔の有名な人のお屋敷だけど、今は誰も住んでいないって聞いたことがあるから。



中に入ると、はじめは暗くてほとんど何も見えませんでしたが、だんだん目が慣れてくると天井の高い玄関の両脇に、荒れ果てた土間や畳間、板の間があるのがわかりました。
もわっとした生暖かい空気と、古いお屋敷の匂いが僕たちをじわじわと包み込みました。
ときどきどーん、という地響きのような音を立てて雷が落ちると、彼女の体がびくっと震えるのがわかりました。

こんな時、倉本聰の「北の国から」なら、暗闇の中、濡れたシャツを乾かすために二人とも下着姿になって、「ドキドキしていた・・・」みたいな純君の語りが入るのでしょうが、当時の僕にはそんな余裕はなく、ただ、早くこの嵐が去ってくれないか、とばかり考えていたような気がします。


結局、雨が上がっても、僕たちはそこから動くことはなく、高山に向かう最終バスを待って、それに彼女を乗せ、僕はその折り返し便で町まで帰ったのでした。

バスが来るまでの2時間ちょっとの間、何を話したかはもう忘れてしまいました。
道路からちょっと高くなっている門の前に座ると、夕立ちが去った後の風がすごく心地よくて、
彼女は僕に寄りかかって、スヤスヤと眠ってしまったようでした。

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あの日からもう30年以上が経ったなんて、改めて考えるとなんだか信じられませんが、去年の冬、高山社跡に行ってみると、あの頃に比べると、ずいぶんこぎれいになっていました。
世界遺産登録が決まったこれからは、さらに整備されるのだろうと思います。

でも、僕と彼女が、かつてほんの一瞬だけ心を通わせたこと以外、何の歴史も事件もないように思える、平凡で平和な場所に、人々が押し寄せてくるなんて、やっぱりなんだか変な感じです。


彼女が高山に住んでいるのかどうかは、今では僕もわかりませんが、高山社跡にたくさんの人々がやってくるのをもし彼女が見たとしたら、あの、ちょっとスローな独特の話し方で、
ふーん、なんでだろうね?
と首を傾けながら不思議そうに言うに違いないことは、今でも僕にはわかります。


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上毛電鉄自転車列車 【群馬県】

 2014-06-19
前回の渡良瀬橋ツアーの際に、同時に訪れた群馬の上毛電鉄がなかなかユニークだったので紹介します。

上毛電鉄は群馬県の東端にある桐生市(西桐生駅)から県央の前橋市(中央前橋駅)まで約25kmを結んでいます。
僕は高校を卒業するまで群馬に住んでいたのですが、同じ県内でも東側と西側では生活圏が違っていたせいか(ちなみに僕は西側でした)、この電車には一度も乗ったことがなかったのです。

きっと、車窓にすごい絶景があるでもなく、関東平野の北端あたりの何の変哲もない田園地帯を走るだけでしょうが、もしかすると赤城山の長い裾野が、間近にきれいに見えたりするかも、などと淡い期待を抱きながら、東北本線の小山から両毛線経由で桐生へと向かいました。


西桐生駅は、JRの桐生駅から歩いてすぐでした。
関東の駅100選とか国の登録有形文化財になっている、知る人ぞ知る有名な駅舎らしいのですが、なぜか写真が残っていませんでした(撮った気がするんだけど・・・)
なので写真はホームから。

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このかわいらしい2両編成の列車が走るのですが、なななんと・・・

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この列車、自転車持ち込みOKのようです。

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どんどんきます。

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ほとんど自転車運搬車状態です・・・

乗客を引きとどめるための、ローカル線の涙ぐましい工夫なのでしょうが、なかなか斬新です。

さて、途中で一番大きな駅、大胡で降りてみることにしました。

駅構内に車両基地がありました。
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これは何か珍しい列車なのでしょうか?よくわかりません。
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町内からの赤城山遠望。
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ここからすぐ近くのはずですが、意外に大きくは見えませんでした。


メルヘンチックな電車が来ましたが、
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やっぱりこれも自転車OKのようでした。。。


終点の中央前橋駅。
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この駅前の閑散さ、駅前一等地(のはずの)左側のビル。
前橋は、全国の県庁所在地の中で一番地価が安い、といわれますが、それも仕方ないかな、という感じでした。

JRの前橋駅もありますが、前橋市街に近いのはこっちの駅の方なんですが、寂しいものですね。
またひとつ、歩いたシャッター商店街が増えました。。。

<2013年7月訪問>


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名曲をめぐる旅 ~渡良瀬橋 【栃木県/足利市】

 2014-06-17
2年くらい前のことでしたが、朝日新聞の土曜版で「名曲をめぐる旅」といったようなタイトルの連載がありました。

そのシリーズで森高千里の「渡良瀬橋」の記事を読んだときから、いつかここに行ってみたい、と思っていたのですが、1年ほど前、たまたま近くに用事があった帰りに、渡良瀬橋のある足利に行くチャンスがありました。

僕は森高千里の熱烈なファンというわけではないので(ミニスカートの下の足がきれいだ、ということはもちろん知ってますが・・・笑)、「渡良瀬橋」という歌も、オリジナルをじっくり聞いたことはありませんでした。
ただ、有線からときどきBGMとして流れているのを聞いたり、女の子がカラオケで唄っていたのを聞いて、なんとなくいい歌だなあ、とは思っていました。
隣県の群馬出身の僕にとって、渡良瀬川という川の名前に比較的親近感があったから、ということも、この旅のきっかけのひとつになったのかもしれません。



JRの足利駅を出て、西へ向かいます。
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最初の名曲スポットはココ。
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わかりますか?
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答えはこれ。
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そういえば昔は電話ボックスでしたよね。

僕は会社に入りたての頃、北海道に彼女を残してきてしまったので、毎週土曜日の夜、100円玉を10枚握りしめて、家の近くの電話ボックスに行ってました。

今みたいにケータイもメールもなく、固定電話は北海道だと3分100円くらいだったでしょうか。
家からかけると、際限なく話してしまいそうだったので、一週間に1回だけ、100円玉10枚で30分、彼女と話すことにしていました。

いつもあっという間の30分でした。
最後の100円が落ちるときのブー、という無常な音。
「残り3分」。ウルトラマンのカラータイマーみたいな合図です。
だからその音がすると、名残惜しくて寂しくて、でもとても中身の濃い時間だったと思います。

そういえば彼女も足のきれいな女の子だったなあ、なーんてちょっと懐かしくなりました(笑)


続いてココ
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八雲神社は足利市内に複数あるので、どこが歌に出てくる神社なのかは諸説あるようですが。

そして南にちょっと進むと、いよいよ渡良瀬橋です。
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僕は最初、渡良瀬橋、という歌は、きっと森高千里が足利の出身で、この橋にいろいろな想い出があったからできたのだろう、と勝手に想像していましたが、実はそうではないらしいのです。
歌の題材を探していた森高が、たまたま地図で見つけた、『わたらせばし』という名前の響きに魅かれて、ここを題材にした歌が作られた、というのが真実なのだそうです。

なーんだ、という気もしますが、「わたらせばし」・・・言われてみれば、確かにきれいな響きではあります。
まあこれだけ人々にの心に残る歌なのですから、事実はどうであれ、いい歌には違いないのでしょう。
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本当は歌詞にあるように、「渡良瀬橋から見る夕日」を見たかったのですが、初夏の太陽は夕方4時を過ぎてもまだまだ高く、なかなか夕暮れにはなりそうになかったので、それはまた次の機会にして、短い旅を終えたのでした。
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ベタですが、最後に渡良瀬橋を渡りながら、I-phoneで「渡良瀬橋」を聞いたら、ちょっとウルッと来てしまったのでした。


                                                          <2013年7月訪問>


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昨日、問寒別で ~「昨日、悲別で」へのオマージュ 【北海道・問寒別】

 2014-06-16
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稚内の日記を書いてたら、ちょうど北海道が舞台で、僕が大好きだった倉本聡さんのドラマ、「昨日、悲別で」のような妄想ドラマが思い浮かびました。

60分モノくらいでしょうか。ちょっと長いですが、ぜひ妄想力を最大に働かせて、映像を思い浮かべながらどうぞ!

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【シーン1(以下Sー1)】
(効果音/以下SE)列車の音、フェードイン。

《カット1(以下Cー1)》
夕暮れ。宗谷本線の鈍行列車。
たった一両の車内は、バックパックを背負った旅行者と地元の高校生が数人。
4人掛けボックスシートの、男(=語り手・僕)の前に座っている美雪(=主人公)。

(男のナレーション/以下NA)
「それはあの時の彼女に間違いなかった。あの時と雰囲気はずいぶん変わってしまったが、僕は確かに覚えていた」

《Cー2(男の回想)》
3年前。9月下旬の午前7時。
雲ひとつない快晴、透明な冷気。
たった一両の宗谷本線旭川行き一番列車がゆっくりと小さな駅の短いホームに停まる。
まばゆいばかりの逆光の中に、問寒別(といかんべつ)という駅名標が見える。
(男のNA)
「それは何故か僕のこころを打つ、感動的なシーンだった」

《Cー3(男の回想続き)》
古い貨車を改造して作られた駅舎。
駅前からまっすぐに延びる道路脇に民家が数軒。その先は広大な牧草地。
駅のホームに老夫婦。
その向かいにスラリとした美雪の後姿。右手に大きなスーツケース。
きちんとした農作業着に帽子姿の父親、無言で美雪を見つめている。
母親は、大きな紙袋を彼女に手渡し、しきりに何か言っている。
美雪が列車に乗り込む。
ドアが閉まる瞬間、父親が短く何か言うが、発車のクラクションにかき消される。
まっすぐな線路が原野の中に延びている。
美雪は最後尾の窓ガラスの前に凛と立ち、ホームに立つ両親をいつまでも見つめている。
彼女の目を、ひとすじの涙が伝う。


(男のNA)
昨日、問寒別で、彼女は迷い
今日、問寒別で、僕と出会った
明日、問寒別に、彼女は帰る


BG(主題歌)、NA終りと同時に。  『22才の別れ(かぐや姫)』

タイトル、カットイン  『昨日、問寒別で』

BG、ワンコーラスでフェードアウト



【Sー2】
《Cー1 再び列車の中(現在)》
問寒別を過ぎても、美雪は降りない。
列車が駅に停まっている間じゅう、伏せた顔をあげない。
そのまま列車は発車してしまう。

男「今日は問寒別で降りなくていいんですか?」
美雪、驚いたように顔をあげて、男をまじまじと見つめ言う。
「それ、今話さなきゃダメですか?」

《Cー2 夜、稚内市街》
居酒屋『さいはて』の看板。
店内に流れる演歌。
ビールグラスを前に、美雪はやや俯きながら、ポツリポツリと話しはじめる。
あまり口をつけていないメンソールタバコから、立ち昇る煙。
美雪「私、あんな田舎では珍しく、一人っ子で、両親にすごく可愛がられたの」

《Cー3(美雪の回想/問寒別)》
農作業用の車の助手席に幼い美雪を乗せて、まっすぐな農道でハンドルを握る父親。
吹雪の夜、稚内の学習塾の前で、凍えながら美雪を待つ母親。
小さい頃のダンスのレッスン。
華やかな舞台での発表会。
朝早くから牛舎で世話をする両親の白い息。

(美雪のNA)
「すごく期待されて札幌に向かったのが、19の時。あなたが見たのは、きっとその時だったのね」

《Cー4(美雪の回想/札幌)》
ダンスのレッスン。
よろめいて倒れ、コーチからなじられる美雪。
夜、コンビニでカゴに入れられる、賞味期限間近の値引きされた弁当。
暗い店内で水割りを作る厚化粧の美雪。
ススキノのネオン街。
ホテル街を男と腕を組んで歩く美雪。
再びダンスのレッスン。
上気した顔の、こめかみから伝わる汗。
オーディションの合格者が貼り出された壁。
静かに立ち尽くす美雪の後ろ姿。

(美雪のNA)
「もう限界。ずっと問寒別に帰りたかったの。でも…やっぱり駅には降りられなかった」

《Cー5(イメージ)》
美雪からの年賀状をいつまでも見つめている父親。
電話で楽しそうに話す母親。
牛舎の両親。

美雪「だから今日帰るところがないの。あなたのホテルに行っていいかしら?」
店内を流れる演歌。

《Cー6(稚内の寂しい歓楽街)》
トロンとした目で、よろめきながら、男の左腕をつかんで歩く美雪。
美雪「あたし、もうキズものなの。ほら」
めくり上げたスカートの下、太腿に描かれたタトゥー。
美雪「こんなあたしでも、本当にいいの?」
美雪、男の目を覗き込む一瞬だけ、真剣な眼差し。

《Cー7(朝、ホテルの部屋)》
レースのカーテン越しに差し込む光。
突然ベッドから飛び起きる美雪。
着衣を確かめ、左右を見回し、ソファの男に気づく。

美雪「あれ、私、昨日のこと…」
男「すごくぐっすり眠ってたよ」
美雪「私、変なことしなかった?」
男「うん、大丈夫。でも…」
美雪「でも…?」
男「お父さん、お母さん、って…何度も。」
美雪「…そう。でも、ダメだよ。帰れないよ…」



【Sー3】
《Cー1 稚内駅》
真新しく広い駅舎。
旭川行き鈍行列車改札の放送。

美雪「ねぇ、どこに行くの?」
男「とにかく次の列車に乗ってみよう」
美雪「私、問寒別には帰らないわよ。だったらこのまま札幌まで戻る」
男「利尻富士、キレイに見えるかな?」
美雪「利尻富士?頂上に雲がかかってることが多いから、どうかしら…」

稚内の空。
岬のまち特有のどんよりとした雲が、すごいスピードで流れている。

美雪「アイヌの人たちは、利尻がよく見える日に、よく懺悔したって。神様の機嫌がいい、珍しい日だって…」
男「そう。だからもし、利尻が100%完璧に見えたら、問寒別に帰らないか?」
美雪、一瞬言葉につまる。
必死で何か言おうとする。

男「この先、抜海の駅の手前で、一瞬だけ利尻が望めるところがあるでしょう。そこでもし100%完璧に見えたら…」
美雪「神様が許してる…」
男「そうそう」

美雪、じっと何かを考え、大きく首を振る。
美雪「雲だってこんなに厚いし、無理だよ、きっと」

稚内上空。
流れる雲の間からときどき太陽の光が差し込む。

《Cー2 宗谷本線、車窓》
稚内の駅を発車する一両の列車。
駅前の雑居ビルが流れ去り、だんだんと民家が減ってゆく。
やがて、一面のサロベツ原野へ。
岬側はまだ厚い雲が流れているが、海岸方面の空は、明るい。
運転席横の窓ガラス前に立つ美雪。
あの時と同じように凛とした姿。

(SE)海岸段丘の勾配を登るディーゼルカーのエンジン音、だんだん高まって。

《Cー3 宗谷本線、車窓続き》
列車は、突然空中に浮かび上がるように、海を見下ろす高台に出る。
正面に、利尻富士。
雲ひとつないその雄姿。
美雪、へなへなと男に倒れかかる。
そのまま顔をうずめて声を出さずに泣く。

(SE)問寒別に向けて勾配を下るディーゼルカーの軽快な音、かすかに。

《Cー4 イメージ》
幼い頃のダンスレッスン。
ススキノの、ホテルのネオン。
問寒別の牧草地。
サイロ越しに見える利尻の雄姿。



【Sー4】
《Cー1 問寒別駅 イメージ》
まっすぐに延びる線路。
朝日を浴びた駅名標。
キラキラと光る朝露。

《Cー2 宗谷本線、車内》
美雪「ひとりじゃ怖いから、一緒に家まで来て欲しいの。ダメですか?」
男「いきなり行ったらビックリするでしょ?そもそも何て紹介するの?」
美雪「一緒に一夜を過ごした、大切なひと、って…」
男「おいおい、俺は何もしてないぜ…」
美雪「知ってるわよ」
すっかり泣き止んだ、美雪の笑顔のアップ。
美雪「じゃあ、いつか一緒に一夜を過ごすかもしれないひとって…」
言い終わる前に問寒別到着間近の車内放送。
列車がゆっくりとスピードをおとしはじめる。

《Cー3 問寒別駅 》
遠くのホームにふたつの人影。
(スローモーション)
美雪の表情。
昔よりいくぶん背筋が曲がった父親の後ろ姿。
ホームから身を乗り出して列車の到着を待つ母親。

(BG)『駅舎(さだまさし)』 カットイン。

《Cー4 問寒別駅 》
列車が到着し、開くドア。
驚きで目を見開く母親。
直立不動のまま、うっすらと目に涙を浮かべる父親。
男、美雪の背中をそっと押す。

発車のベルもなく、ドアが閉まる。
男、最後尾の窓ガラスの前に立ち、離れてゆく駅のホームを眺めている。
美雪、一瞬、後ろを振り返るようなしぐさを見せるが、そのまま両親のもとに駆け寄る。

BG、『駅舎』、だんだんと大きくなって。

男、ボックスシートに座り、あの時と同じように朝日に目を細める。
列車はサロベツ原野を駆け抜けてゆく。

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エンディングロール



「完」

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日本最北らへんを歩く/抜海と利尻富士 【北海道・稚内市】

 2014-06-14
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宗谷本線で稚内まで行ったことのある人はご存知だと思いますが、稚内の2つ手前、抜海駅から南稚内駅までの間、時間にしてたぶん20秒から30秒、ほんのわずかな間だけ、海の向こうに利尻富士がその全貌を見せる瞬間があります。

僕が最初にその姿を見たのは、15歳の夏。
まだ宗谷本線には旧型の茶色い客車列車が走っていて、初めて北海道にやってきた僕たちは、その窓を全開にして、北の短い夏の風をいっぱいに受けながら、旅を続けていました。

旭川から名寄、美深、音威子府、幌延。
稚内までの道すがら、ポツンポツンと現れる町は、今よりはるかに賑やかだったはずですが、それでもだんだんと物寂しくなってゆく風景に、自分たちは今、日本の北の果てに向かっているのだ、ということが身を持って感じられました。

豊富の駅を過ぎると、まとまった人家はほとんど見えなくなり、列車は茫洋とした原野の中をこれでもか、これでもか、とひたすらに走りつづけました。鈍行列車のくせに、止まるべき駅がないために、恐ろしいほどのスピードで走り続けるしかない、というように。こんなに空しい土地の先に、本当に人の住む町なんかがあるのだろうか、そんなふうに思えるほどでした。

抜海、という駅名は、今でこそこれ以上なく素晴らしい名前だと思いますが、当時は海も見えない原野の中の小駅が、こんな大仰な名前を背負っている理由がわかりませんでした。

列車が抜海駅を出てしばらくは、今までと変わらず、サロベツの原生林や湿地帯が続きました。延々と続くその眺めに慣れてしまい、ただぼんやりとうつろに外を見ていた僕たちは、その瞬間、列車が空中に放り出されたのかと思いました。
いつの間にか、列車は原野の中を右へ左へと進みながら高度を上げ、じわじわと海辺へと近づき、とうとう何も遮るものがない、海岸段丘の上に到達したのでした。
荒い白浪を打ち寄せている日本海の向こうに、堂々たる利尻富士がありました。
堂々たる、という表現がいいのか、凛々しい、の方がふさわしいのか、あるいは秀麗な、というべきか、その時の感覚はうまく言い表せませんが、とにかく、まさにそこは抜海、そう、海を射抜くように利尻を望む、断崖上の天然の美術館のようでした。


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<逆光で見にくいですが、こんな景色です(2013年9月撮影)>

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<南稚内側から上り列車で (2013年9月撮影)>

しかし、突然予告もなく幕を明け、僕たちを完璧に覚醒させた展覧会は、終わりもまた突然でした。線路が右へとカーブを描くと、僕たちの目の前にはまた原野の台地が現れ、再び海を見ることのないまま、やがて高台の上に住宅地がポツリポツリと見え始め、列車は南稚内へと到着したのでした。
果てしなく続く原野、突然現れた幻のような利尻富士、この先もう見ることのないと思っていた分、想像以上に大都会に思えた稚内、この変化は正直、衝撃的でした。

その時から、いつかここに降り立って、ゆっくりと自分の足で歩いてみたい、と思っていました。
稚内駅前にはそのあと5,6回は降り立っていますし、列車の中からこの景色を眺めることも何度もあったのですが、実際に南稚内から抜海まで歩いたのはつい去年、そう、僕が初めて衝撃を受けたあの日から30年以上あとのことでした。



前置きが長くなりましたが、ここからが本編です。



2013年9月、札幌からの特急スーパー宗谷に乗って、終点一つ手間の南稚内で下車。
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ここから抜海駅までを歩きます。
寄り道せずに行けば12キロちょっとなので、ビックリするような距離ではありませんが、南稚内で昼食を済ませないと、稚内に戻ってくるまでこの先食事ができる場所はなさそうなので、駅前で牛丼(すき家はこんな北の果てにもありました)を食べ、コンビニで遭難時の非常食用に(笑)パンとお茶を揃えて午後1時10分過ぎ出発。

稚内は、稚内駅を中心とした「中央」地区と、南稚内駅を中心とした「南」地区に中心街が分かれているのですが、南の方がやや賑やかな感じがします。特に夜の繁華街は南が中心です。
人口はすでに5万人を切っているので、大きな街ではありませんが、(飛行機でやってくる以外は)あれだけ何もない原野を延々と通ってくるので、着いた瞬間は、感動的な大都会に見えるのです。

南駅から西に向かう道道106号線「オロロンライン」を歩きます。オロロンというのは天売島に住むウミガラスのことで、この道が天売島のある道北の日本海側に沿って続くことに由来するそうです。しばらくは道の両側、それから南側の高台の上に、住宅地が続きます。きっと列車から最初に見える住宅地は、この高台のものだったのでしょう。いくらでも土地がありそうなのに、わざわざ高台の上を切り開いて住宅地にしているのは不思議ですが、稚内は天塩山地から続く山が先細って海に落ちるところなので、意外に平地が少ないのかもしれません。

小さな峠を超え、少し坂を下るとすぐに目の前に日本海が見えました。そしてもちろん利尻富士も。
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残念ながら午後は逆光で、写真に撮ると利尻富士が黒い塊のよう。やっぱり来るなら午前だった、と思いながら海岸沿いに利尻富士を眺めながらオロロンラインを歩きます。

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車は2,3分に1台通るかどうか、という感じです。
14時23~24分頃に、海岸に一番近いところを通る列車があるはずなので、なんとか急いでそれを写真に収めたいと、あの、天空列車のような海岸段丘上の線路区間を目指して、右に海、左に原野を見ながらしばらく歩きます。

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海岸沿いから段丘の上にある線路まで歩いて行けるか、地図上では確認できなかったのですが(少なくともまともな道はなさそう)、行ってみると、背の高い藪の中を切り開いて、木製の階段が丘の上まで続いていました。
上まで登ってみると、そこには線路内立ち入り禁止の看板。
1時間に1本しか列車が来ないとしても、確かにこの場所にとどまっているのは見通しも悪く危険な感じはします。もっと高台に上って、列車と海と利尻富士、全部を構図に収められる場所があればいいのですが、そのためにはどうやら道なき藪の中をさらに登らなくてはならなそうなので、それはあきらめて、ここからの眺めを数枚だけ写真に収めて下に戻り、列車が来るのを待つことにしました。

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下に降りるとすぐに稚内行の1両編成のディーゼルカーがやってきました。
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下から見上げると、地上から30mの天空を走る列車のように見えますが、やっぱりあっという間に通り過ぎてしまいました(運転手によっては、利尻がきれいに見える日は、ここで徐行運転をしてくれる場合もありますが)。

列車が通り過ぎてしまうと再び静寂が戻ります。
オロロンラインを抜海に向けてさらに南へ7キロほど進みます。

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抜海の駅は海岸から内陸へ1キロほど入った宗谷丘陵の上にあるのですが、抜海の市街(と言っても民家が50~100戸程度)は海岸沿いの小さな岬のたもとにあります。

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小さな郵便局があり、抜海小中学校があり、お寺はありますが、商店らしきものはやっぱり見当たりません。
夕暮れの利尻富士が、目の前にひときわ大きく、黒くそびえていました。

海岸を少し戻ってから内陸に入り、駅へと向かいます。
抜海駅はすでにもうしばらく前から無人駅ではありますが、古いながらも木造の駅舎や、上下線の2面ホームを残している、昔ながらの駅らしい駅でした。

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永年憧れていた抜海と利尻富士を巡る旅は、寄り道も含めて16km、約3時間半の散歩でした。

1両のディーゼルカー乗り込んで、さっき通った道を左車窓に感じながら、稚内へと戻ります。
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なんと、稚内の駅は新しく生まれ変わっていました。
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駅の北側がすっきりと整備され、公園のようになっていて、かつて稚内駅と旧樺太航路の発着場を結んでいた北防波堤ドーム、が一層大きく、どっしりと見えました。

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ホタル/ほたる 【長野県・辰野】

 2014-06-11

「ほたるが見たい」
5歳の娘が突然そんなことを言いました。
それが20数年前、ある人から聞いたセリフと全く同じだったので、僕は最初、ちょっとびっくりしてとまどったのだけれど、結局、娘を連れてホタルを見に行くことにしました。

長野県の辰野という、山間の小さな町です。
諏訪湖から流れ出る、天竜川という激流で有名な大河が、まだ細く穏やかに流れる、伊那の谷への入り口に、そのホタルで有名な町はあります。
毎年6月の中旬から下旬にかけて、ホタルが最も華やかに飛び交う時期に、辰野の町は「ホタル祭り」という催しで、1年で1週間だけ、賑やかに彩られます。
僕たちは、その人混みを避けるように、ホタル祭りがはじまる前の日に辰野へと向かいました。
そう、あの時と同じように。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あの時、僕も彼女も19歳で、関東の田舎にある、地元の駅前の予備校に通っていました。
今でこそ、浪人生は少数派になってしまったようですが、当時はまだ、浪人して大学に進学するほうが多い時代でした。
前の年の大学受験に失敗した多くの友達は、嬉々として地元を去り、東京での一人暮らしと予備校通いを始めました。それがステイタスのような時代だったのです。彼らにとって、浪人することに悲壮感は全くありませんでした。だから彼らから見たら、地元に残る浪人生たちこそ、地味で上昇志向のない、悲壮感ただよう人間に見えていたのかもしれません。

僕たちは、その予備校の「東大特別進学コース」というクラスにいました。もちろん東大進学者など、ここ数年聞いたこともない、名前だけのクラスでした。
そういう意味では、確かに、東京の予備校に通う人間が言うことに一理あったのかもしれません。ここに通うほとんどのメンバーは、地味で暗いか、苦学生か、大学に行く気があるのかないのかわからない人間か、のいずれかに見えました。

そういう僕も、午前中の講義も終わらないうちに、晴れた日には高校時代には乗れなかったバイクに乗って遠出をし、雨の日には駅前のパチンコ屋で時間をつぶし、そして晴れていようと雨だろうと、夜には必ず誰かの家に集まって麻雀をする毎日でした。
そんな中、彼女だけが、「東大特別進学コース」の誰とも違う輝きを放っていた唯一の存在でした。

ほたる、という名前のその女の子は、隣町の女子高の出身で、いつも教室の窓際の1番前の席に座って、熱心に講義を聴いていました。
4月の午前11時の光が、そして5月の午前10時の光が、ほたるの髪を栗色に染めるのが眩しくて、僕はよく、教室の入り口の前の、一番後ろの席から、窓際ばかりを眺めていました。僕が午前中に予備校に通っていたのは、そのためだけだったのかもしれません。

それは6月のある雨の日のことでした。
珍しく僕が午前中の講義を聞き終わり、昼休みに教室を出ようとするところに、ほたるがやってきました。
「あの、ちょっと教えてほしいところがあるんです」
予備校では、毎月の模擬試験の解答例を掲示板に貼り出していました。
当時、国語の解答例だけは、なぜか毎回僕のものが貼り出されていたので、現代文の解釈の質問を聞きにきたようでした。

僕とほたるが初めてまともに話したのが、その昼休みの喫茶店でした。
現代文の解釈の話しが終わった後、何を話したかは、あまり覚えていません。
ただ、なんで現代文がそんなにわかるのか、というほたるの質問に対して、いつも本を読んでいる以外はほかには何もしていない、と答えて、たまたま僕が持っていた本を見せたことはよく覚えています。
それは村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」という本でした。
「村上春樹にも『蛍』っていう小説があるんですね。読み終わったら、貸してください」
その本をほとんど読み終わっていた僕は、その場でそれを彼女に貸しました。

その2日後です。
「ほたるが見たい」と彼女が言ったのは。
僕が調べたところ、この町から一番近く、あふれるようにホタルが舞う姿を想像できる土地は辰野しかありませんでした。
一番近いルートなら200km、決して遠い距離ではないとはいえ、ホタル舞う宵の時間にそんな場所まで彼女を連れ出せるのか、無理だろう、そう思って彼女に言いました。
「辰野が絶対に一番だと思うけど、無理だよね。ほかを探してみるよ」
「ううん、そこに行きたい。ダメですか?」
「ダメじゃないけど、帰ってこられないよ、その日のうちには・・・」
「朝までに帰ってこられる?」
「朝までなら大丈夫だと思うけど・・・」
「じゃあ、行きたい・・・」
朝までなら、時間的には余裕でした。でも、朝までに彼女を離してしまえるかどうか、そのときの僕には自信がありませんでした。

金曜日の午後の講義を終え、僕たちはバイクで予備校を後にしました。
群馬から長野への峠道を越え、軽井沢を抜けるころまでは、梅雨の季節には珍しい、晴れ渡った爽やかな青の世界でした。佐久から諏訪への山道にかかる夕暮れの頃からだんだんと雲行きが怪しくなりはじめました。
「雨だと、ほたるはどうなっちゃうんだろう?」
初めてのバイクで、僕の背中にしがみついたままもう3時間、彼女の声が心なしか震えているように聞こえてきます。
「雨はわからないけど。。。気温が低くなると飛ばないって聞いたけど・・・」
「急ごう、雨が降る前に。ほたるが消える前に・・・」
ほたるは消えるはずないよ。だってここにいるだろ。僕の背中にちゃんと。
峠を登るエンジンの低音で、僕のつぶやきくらいじゃ聞こえるはずもありません。けれどそれを口に出しては言えませんでした。

夜8時。明日からのホタル祭りの出店や誘導看板の準備がひっそりと立ち並ぶ、静かな辰野の町を抜け、天竜川のほとりに僕とほたるは降り立ちました。
雨はまだ、落ちてきません。
バイクを降りても、ほたるはまだ震えていました。今日はそんなに寒いんだろうか?ホタルは本当に飛ぶんだろうか?

天竜川の橋を渡ると、辺りは灯りひとつない、闇に包まれます。
ホタルはとって光はコトバなのだと言います。だから自分以外の過剰な灯りを見つけると、人間が騒音の中では話すのをやめてしまうように、光るのを止めてしまうのだ、というのです。

だから行く手は本当の暗闇の中でした。ほたるが震えた手で僕の腕をつかんでいます。
ホタルはまだ現れません。
いくつもの、小さな沢を見下ろす小高い山道を、2人でおそるおそる進んでいきました。
「ねぇ、見て。あれ、あそこ。ねぇ、もしかして光ってる?」
光っていました。沢の岸辺の雑草の中で、かすかに点滅する光が見えました。
「ねぇ、降りよう。もっと近くに行こう」

ほたるが僕の手を引いて小道を駆け、勢いあまって雑草の端に脚を踏み入れる。
ホタルが舞う。
雑草の中から小さな光を点滅させながら、次々と川面へと飛び立ってゆく。
今までどこかで姿を隠していたホタルまでが、まるでほたると会話をするように集まって来て、光っては消え、光っては消える。
それは深闇に浮かぶ、線香花火のようだ。

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「あの、洋服全部脱いじゃっていい?・・・」
今は僕の背中ではなく、横にしがみついているほたるが、突然そんなことを言いました。
「ホタルに全身を包まれてみたいの。だから、ね?」
あたりはホタルの放つ微かな光以外は真っ暗で、たとえ彼女が全裸になっても、その姿は僕に見えるはずはないような気がしました。
それでもすぐにはうん、と言えずに、僕は黙って彼女のそばを離れ、ただあてもなく空を見上げるしかありませんでした。

厚い雲に覆われていた空は、いつの間にか晴れわたり、ホタル舞う川面に負けないくらいの光の洪水でした。
彼女が纏うホタルの衣装のせいなのか、それとも天高く流れる星の光のせいなのかわかりませんが、誘惑に負けてほんの一瞬、覗き見た彼女の全裸姿は暗闇の中から透きとおるように青く浮かび上がり、僕の目にいつまでも焼き付いて離れませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

20年ぶりのホタル祭りの前夜は、昔より随分賑やかになっていました。
町のメインストリートは歩行者天国になるらしく、夜を徹して出店の準備が行われ、天竜川のほとりには大きな駐車場やテントが設けられ、前夜だと言うのにたくさんの人がホタルの道を歩いていて、人々の持つ小さな懐中電灯の灯りをホタルの光と見間違えてしまうくらいでした。

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「あ、ほたるいたいた。ここにひとつ、あっちにも。キレイだねぇ。」
5歳の娘はそう言います。
「でもね、パパは昔、もっといっぱい飛んでるのを見たことがあるような気がする」
「へぇ~いつ見たの?どこで見たの?」
「忘れちゃったなぁ。もしかしたら夢の中だったのかなあ・・・」
「な~んだ、パパ。夢かぁ」

そう。あれは夢だったのかもしれないね。
でもね、あのお空を見てごらん、あの星は夢じゃなくって、パパが前にも見たことのあるお空とおんなじだよ、きっと。




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