国鉄最高地点とかバブル前の清里とか【青春18たび 1982年春‐5】

 2015-03-31
前編-1  君は「青春18のびのびきっぷ」を知ってるか?
前編-2  サヨナラ模様とか、夜汽車とか 
前編-3  幽玄な飛騨川とか、女湯展望列車とか。
前編-4  目覚めよ、若者!恐怖の夜汽車3連泊



央本線初鹿野駅、深夜1時54分。
上り新宿行きの夜行列車を降りた僕たちは、寒々しい駅の待合室で2時12分発の下り長野行きの夜行を待っていました。
あの眠さ、あの寒さ、駅前の闇の暗さ、なんか覚えてるなー、30年以上前のことなのに。

しかもこのブログを書くために調べてわかったのですが、今はもう初鹿野駅という名前はないんですね。
甲斐大和という名前の駅に変わっているのだそうです。

初鹿野駅のスタンプが残っています。あんな山の中の小駅にもちゃんとスタンプが置いてあったんですね。
駅名が変わってしまった今はもうない貴重なスタンプということですね。

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ついでに甲府駅のスタンプも。
甲府駅では下車していなかったので、夜中の停車時間中に押しに行ったのでしょうか?

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途中、日野春という駅で夜明けを待つために長時間停車し、小淵沢にはAM5時1分着。
ここで小海線の始発列車に乗り換えます。

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なぜかのあたりこから写真が残っています。
これより前は写真を撮ってなかったんでしょうか?
謎です。。。


小淵沢駅スタンプ。

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小海線といえば、八ヶ岳の麓、国鉄で一番標高の高いところを走る路線として有名です。

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国鉄駅の標高順に並べると、1~9位が小海線、10位に辛うじて中央本線の富士見が入る、ということで、ほぼベスト10を独占です。
国鉄最高地点を目指して、きっとウキウキしながら小淵沢5時45分発の小海線始発列車で野辺山へ向かったのでしょう。


野辺山駅に到着。
今は白い高原の教会チックな駅舎ですが、当時は木造の建物でした。

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国鉄最高駅という文字入りの入場券が残っていました。

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そのあと、歩いて野辺山~清里間にある、国鉄最高地点へ。

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うしろに見えるのが八ヶ岳です。
今は『日本鉄道最高地点』として「幸せの鐘」付きの石造りの立派なモニュメントができていますが、当時は至ってシンプルな木の標識でした。


このあたりで写したのでしょうか、何枚か列車の写真も残っていました。

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時代を感じさせるディーゼルカーですね。

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そのあと歩いたのか、もう一度列車に乗ったのかは不明ですが、清里駅を訪れています。

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駅前を歩くおねーさんに時代を感じますね。
清里はバブル時代に東京の女子大生がこぞって押し寄せて、テニスやらペンションやらひと夏の冒険やらでたいそう賑わったところですが、まだこの頃はそこまでのイケイケ感はありませんでした。

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国鉄のワン・ツー・スリーが揃っている切符、とか言って煽られたのかもしれませんが、無意味なきっぷ買ってます。

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再び戻った小淵沢駅で見たあずさ。
今はもうこんな車両じゃないですよね。

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そのあとは下諏訪に行って、ようやく初めてホテルに宿泊した記憶があります。


最終日の3月29日は上諏訪に移動して諏訪湖や高島城を見たようです。

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そのあと中央本線で新宿方面に戻り、帰り際になぜか高尾山に登り、八王子から八高線で群馬まで帰ったようでした。
最終日はさすがに疲れたのでしょうか、日記も写真もあまり残っていませんでした。

こうして初めての「青春18のびのびきっぷ」の旅は終わったのですが、これは結構ヤミツキになりました。
このあと長い休みをつかっては北海道、山陰と「金はないけど若さはあるぜ!」的な旅に出かけていますので、また機会あったらここでご紹介します。



<1982年3月28~29日訪問 終わり>






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「たびねす」に新着記事掲載 「東海道随一の絶景・静岡・薩埵峠」

 2015-03-29
門家が教える旅先ガイド「たびねす」に新着記事掲載しました!



  入口⇒ 富士を望む東海道随一の絶景 静岡・薩埵峠(さったとうげ)を歩こう

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ぜひ読んでみてください!



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目覚めよ、若者!恐怖の夜汽車3連泊【青春18たび 1982年春‐3】

 2015-03-27
前編-1  君は「青春18のびのびきっぷ」を知ってるか?
前編-2  サヨナラ模様とか、夜汽車とか 
前編-3  幽玄な飛騨川とか、女湯展望列車とか。



1982年3月27日の朝。
旅立ってからまだ2日目なのですが、前日の0時から車中2連泊でずっと移動を続けているので、まだ2日目?って感じです。
この日は木曽路を抜けて、松本、長野へと向かいます。

名古屋発6時26分の中津川行きに乗車。
ようやくあたたかな列車に乗りこんだ僕たちは、中津川まで束の間の睡眠を貪ります。
中津川で乗り換えて南木曽駅に8時32分に着き、妻籠までタクシーで向かったようです。

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贅沢だなー、タクシーだなんて。歩けよ、若者!
30年後に歩いても1時間くらいなもんだったぞ。
タイムマシンがあれば、きっとそう叱咤激励していたことでしょう。
でもまあ、体力はあり余っていたはずなので、日程的にかなりの強行軍で、きっと時間がなかったんだと思います。


30年後(2012年)に僕が妻籠を再訪したときに撮った写真。

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たぶんここは当時と雰囲気がそう変わっていないと思います。
脇本陣奥谷というところの資料館に入った記録が残っています。



妻籠を見た後は、10時13分発の各駅停車で木曽路を一挙に抜けて松本へ。

途中やはり眠くてところどころでウトウトしていたので、上松駅の手前、奇岩が続く「寝覚の床」のあたりでも一瞬目を開けたのですが、またすぐにウトウトしてしまったような気がします。
「寝覚の床」という名称は、あまりの美しさに、早朝で寝ぼけていた旅人の目が覚めてしまった、的な由来なのかと思っていたので、「全然寝覚の床じゃないじゃん!」と思っていたのですが、よく調べてみるとそういう由来ではないようです。

なんでも浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後、ここで玉手箱をあけてしまい、夢から目が覚めた、という伝説からここが『寝覚の床』と名付けられたようです。


12時19分に松本着。

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松本到着後は、国宝松本城を観覧した模様です。写真は絵はがきですが。

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このあたりからメモがだんだん少なくなってくるので、残っているスタンプとか拝観入場券、写真などをベースに多少憶測も入れて書くことになります。


13時52分松本発で長野には15時22分着。
昔の長野駅舎は確かにこんなんでしたね(写真は絵はがき)。

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なんだか長野電鉄の超ビッグな入場券を売ってたので買ったようです。

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そしてスタンプ。

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&善光寺。この写真は31年後の2013年に再訪したときの写真ですが。

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そして夕刻、恐怖の車中3連泊目。
18時30分長野発の新宿行き上り夜行鈍行列車に乗り込んだ僕たちは、再び深夜の中央本線初鹿野駅で下りの夜行列車に乗り換える、という荒業に挑戦したのでした!


<1982年3月27日訪問 つづく>






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幽玄な飛騨川とか、女湯展望車窓とか【青春18たび 1982春‐3】

 2015-03-25
前編  サヨナラ模様とか、夜汽車とか 



陸本線の長いトンネルを抜けるたびに薄日がさしたり横殴りの雪だったりと、クルクル変わる早春の不安定な空の下、8時58分富山駅到着。
もちろん富山に足を踏み入れるのは初めてでした。

なぜかここから高山本線の急行「のりくら6号」に乗って飛騨高山に向かっています。

青春18きっぷですから、もちろん急行列車は利用できません。急行券、乗車券ともに別途買わなければならないのに敢えて急行に乗ったのは、きっと高山での観光時間を確保するためだったのでしょう。
のりくら6号で行くと、後続の各駅停車よりも1時間40分ほど早く飛騨高山に着くダイヤになっていました。

初めての高山本線ですが、ここは今でも印象に残っています。
富山を出て越中八尾に停まり、岐阜との県境駅、猪谷を出ると山また山。降り続く雪の中を、飛騨川の幽玄な渓谷に沿って走るのですが、こんな景色は今まで見たことがなくて、なんだか別の世界に足を踏み入れたような気がしたのでした。

飛騨高山には11時11分着。
高山盆地に入ると雪は止み、いつの間にか晴れ間が出ていました。

飛騨高山駅のスタンプ。

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なんだかこの頃はスタンプを集めていたらしく、スタンプ帳にたくさんの駅スタンプが残っていました(笑)


高山では上三之町の街並みを見たり、朝市を覗いたりしたあと、郊外の飛騨民俗村というところに行った覚えがあります。

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(上三之町イメージ  ※写真がなかったので、絵はがきから)

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飛騨民俗村はこんな感じのところです。

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(絵はがきから)

晴れていましたが、雪がところどころに残っていて、めちゃくちゃ寒かった覚えがあります(メモ帳にも書いてありました)。



16時10分発の各駅停車で飛騨高山を出発します。
下呂駅の手前だったと思うのですが、トンネルを出た途端、下呂温泉の旅館の女湯露天風呂が眼下に現れ、しかも結構若い女性の人影を複数発見したため、この区間3往復くらいしちゃおうか、と思ったのでした。
ちなみにこれはメモ帳には書いてなかったのですが、僕の脳みその中のメモリーには今も強く刻印されております。。。
今はもう、この高山本線随一の絶景スポットはなくなってしまったのでしょうか・・・(笑)


白川口駅スタンプ。
降りたわけではないので停車時間中に押したのでしょう。

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19時41分着の終点、岐阜で乗り換えて、名古屋に向かいます。
メモ帳を読むと、どうやら名古屋駅構内に早川浴場という銭湯があったらしく、そこに行くつもりだったのが、夜は20時で終わりになっていて入れず残念云々の記述があります。

そうそう、旅はそんなにうまくいかないんだよ。

そのあとは、21時26分発の上り東京行きの夜行列車に乗り、今日も車中泊。
しかも今宵は深夜の富士駅で降りて、下りの夜行に乗り換えて折り返しまた早朝の名古屋に戻ってくる、という荒業!

よくやったなー、こんなこと。信じられんわ。

案の定、名古屋からの上りは途中で通勤客が降りたところにかろうじて座れたようですが、富士からの下りは超満員で座れずに(通路に新聞紙を敷いて座っている人もいたような記憶あり)、デッキの空きスペースに陣取ったのはいいものの、ドアが開くたびに寒くて目を覚ます、というありさまでした。


それでもちゃんと夜中にスタンプ押してるところがスゴイ!
若いっていいですよね(笑)

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名古屋には翌6時07分到着。
このあと木曽路から松本、長野へと向かいます。


<1982年3月26日訪問 つづく>






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サヨナラ模様とか夜汽車とか。【青春18たび 1982春‐2】

 2015-03-23
前編  君は「青春18のびのびきっぷ」を知ってるか? からつづく


和57年3月26日、高崎駅深夜0時46分発の鈍行夜行長岡行きで、記念すべき「青春18のびのびきっぷの旅」がスタートしました。

今考えると、始発でもない駅からこんな夜行列車によく乗ったなあ、と思いますが、日記を見ると通勤客が高崎で降りたのか、何とかボックスシートを2つ確保して座れたようでした。
座席は8割がた埋まっていて、青春18キッパーらしい旅行客が多い、と書いてあるので、きっとみんなこのきっぷを持って夜行列車に乗り込んでいたのでしょう。

今は青春18きっぷで乗れる夜行列車は東海道線の大垣行「ムーンライトながら」だけになってしまいましたが、当時は東海道本線のほか上越線、中央本線、紀勢本線、山陰本線、土讃線、長崎本線、青函連絡船、函館本線と、全国に鈍行夜行列車が走っていたので、ビンボー旅人には優しい時代でした。。。

長岡行夜行は雪の上越国境を越えて、4時40分に長岡の一つ手前、宮内駅着。
ここで4時45分発の米原行きに乗り換えて北陸方面へ向かいます。
雪の舞う暗闇の中から「明治時代のような古い客車列車」がやってきた、と書いてあります。

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(この写真は、同年5月に撮影したもの)


この列車、よくよく時刻表を見てみると新潟の長岡を4時40分に出発し、滋賀県の米原駅に17時45分に到着するという、426.9キロを13時間以上かけて走る超長距離の鈍行列車です。

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当時は山陰本線に豊岡(兵庫)発門司(福岡)行き、という17時間近く走るもっとスゴイ長距離鈍行列車もありました。


柏崎の手前あたりで明るくなって、車窓右側に日本海が姿を現し始めますが、雪の舞う日本海は灰色。
左側に日本離れした雪山が見える、とあるのは上越国境の山々のことでしょうか。
直江津で36分停車するので特上の天ぷらうどん(290円)を食べたようです。貧乏なのに、特上なんて奮発したなあ。

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(当時の直江津駅。同年5月撮影)

7時51分着の糸魚川で7時53分発の快速列車に乗り換え。
この列車は富山から急行立山2号になって大阪まで行くもので、ヘッドマーク付きの立派な電車でした。

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(同年5月撮影)


糸魚川といえば、この雄大な北アルプスをバックにした赤レンガ造りの車庫。

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(同年5月撮影)

初めて糸魚川を通ったこの日から、何度もこの眺めを見ていますが、めちゃくちゃ旅情あふれる風景なんです。
そういえば北陸新幹線開業で、糸魚川の駅も再開発されたようですが、このレンガの車庫は残っているのでしょうか?

当時の糸魚川駅。
北陸新幹線糸魚川駅決定、という横断幕が見えますね。
あれから32年、ようやく開通したんですね。

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(同年5月撮影)


それから糸魚川といえば、伊藤敏博。
知ってますか?伊藤敏博さん。

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国鉄の車掌として在職中に製作した「サヨナラ模様」がヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得し、シンガーソング車掌として有名になったフォークシンガーです。
彼はこの糸魚川の出身で、ちょうどこの頃は富山県内を中心とした北陸地区で現役の車掌だったのです。

しかもこの方、「青春18のびのびきっぷ」の発売に合わせて、なんと「青春18」というシングルをリリースして、国鉄の観光プロモーションまでしていたのです。

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「サヨナラ模様」は大ヒットしましたが、売れませんでしたね、「青春18」は。


彼のファーストアルバムの2曲目に「夜汽車」という曲があるのですが、これがいい。

♪  夜汽車の窓に映る貴方の 横顔を見てると
♪  これが二人の最後の恋と  とても思えない

暗いんですよ、全般的に。
灰色の日本海、って感じにぴったりなんですが、しかし、イイ!

伊藤敏博さんに敬意を表して、ウォークマンでそんな曲を聞きながら、雪の舞う暗い海を車窓に眺めていたのでした。



<1982年3月26日訪問 つづく>






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君は「青春18のびのびきっぷ」を知ってるか?【青春18たび‐1982春】

 2015-03-21
家に帰って自分の部屋の押入れをのぞいていたら、どうやら僕が作ったらしいずっと昔の旅アルバムを発見しました。

アルバムの中味は恥ずかしくてお見せできるようなものではないのですが、今見ると、かなり貴重だと思われるものがザクザク出てきたので、紹介したいと思います。



これ、知ってますか?

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青春18きっぷの前身、「青春18のびのびきっぷ」が初めて発売された時のものです。
昭和57年ですよ。
「国鉄」時代ですよ。
僕がまだ酸いも甘いも知らない中学生の時代ですよ。

そう、僕はこの青春18のびのびきっぷを使って、春休みに友達4人と初めて本格的な旅デビューをしたのでした。


1982年3月の交通公社の時刻表。

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この中に「青春18のびのびきっぷ」新発売についてのニュースもありました。

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「ヤング」な人々が「壮大なロマン」を求めて「頭脳と体力」を使って「旅で人生を豊かにする」きっぷ、ということですな。
下の方には「物見遊山の観光旅行ではなく、武者修行に出かけなさい」と時刻表のニュースにしては突っ込んだ内容が書かれていて、なかなかいい感じの紹介でした。
発売時は5日間利用で8000円で、今よりお得でしたね、確かに。

そして、すっかり忘れていましたが、一番最初の青春18のびのびきっぷには専用のステッカーまであったのでした。

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これを胸に貼って旅行してください、とシールの台紙に書いてあります。
しかし2回目からはなくなったので、きっと誰もつけなかったのでしょう。。。


中を開くとこんな感じです。

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当日限り有効の券が3枚と2日間有効の券が1枚、計4枚で5日分が1セットでした。

そんなわけで、お金もない中学生の僕たちは、この夢のような格安きっぷを使って、とりあえず旅に出かけたのでした。
それは夜行列車で宿泊代を浮かせながら北陸・東海・甲信越を巡る1泊4日(車中3泊)というまさに武者修行の旅でした。


日本では東京に次いでヤングでナウな場所、と言われていた群馬県に住んでいた僕たちは、青春18きっぷを目いっぱい有効に使おう、ということで、当時走っていた上野発長岡行きという上越線の夜行列車に高崎駅から乗り込みました。

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時刻表を見ると、高崎駅0:46発。
そう、0:00~23:59まで有効なこのきっぷをほぼ最大限有効に使えるのです。

ありがたいことに当時の旅行メモも残っていたので、このあと『青春18のびのび旅‐1982春』シリーズとして数回に分けて紹介したいと思います。


ちなみに今の「青春18きっぷ」(「のびのび」の文字も3回目の発売からは消えていたような気がします)はコレ。

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ステッカーはなくてもいいけど、もうちょっと旅に行くぞー、って感じにしてほしいですよね。。。




<つづく>






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絶倫神社とか、グローバル混浴とか。伊香保温泉後編【群馬県】

 2015-03-18
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前編からの続き


段街の頂上から温泉街を見下ろす位置にあるのが、伊香保の温の守護神、伊香保神社。
上野国(今の群馬県)の三の宮(ごく簡単に言うと、3番目に格式の高い神社、というような感じです)とされていたようですが、かなりこぢんまりとしています。

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しかしこの神社、いろんなご利益があるらしいのです。
伊香保の湯は冷え性の女性の身体を温め、子を授ける『子宝の湯』とも呼ばれていることから、まずは子授け、安産の神様。

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子宝に恵まれるためには、男女が結ばれなくてはならない、ってことで転じて、縁結びの神様。
男女が結ばれるためにはやっぱり色気が無くてはならない、ってことでセクシーの神様(←妄想度50%)
さらに、365段の石段を上りきると金運がアップするといわれているらしく、金運の神様でもあるらしいのです。

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上の写真は、セクシーの神としてあがめられているキツネ夫婦で、健康で文化的で絶倫的な夜の生活を望むカップルの守護神なのだそうです(←妄想度80%)


そんなわけで絵馬に書かれている願い事も、ひっちゃかめっちゃか。
鶴の絵馬は子宝、💛の絵馬は縁結びと、大きくは区分けされているようですが、子宝の絵馬に、どう考えてもうだつの上がらなそうな文字で書かれたサラリーマンの昇進祈願が書いてあったり(社長は無理だろ・・・)、💛の絵馬に3人の女性の名前が書かれていたり(絵馬に書かずにマカ飲めよ・・・)、なかなか愉快といえば愉快です。

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同行しているメンバーの中にいる、やや色が浅黒くて細いハイヒールが似合う、南方系のセクシーな中国人女性から、絵馬に3人の名前が書いてあるのはなぜか、質問を受け、「絶倫」について詳細に説明しようかと思いましたが、言葉だけではすまなそうだったので、今回は適当にお茶を濁しておきました。



さてこのあとは、伊香保神社の裏手からさらに奥のほうへ向かい、温泉街を離れて伊香保の湯元まで行ってみます。

湯の花饅頭の元祖となる店、勝月堂。
全国各地の温泉地で売られている茶色の温泉饅頭は実はここ伊香保温泉が発祥の地です。
明治43年に、この勝月堂の半田勝三氏が、伊香保の湯の花の色をヒントに創案した「湯の花まんじゅう」を販売しはじめたのが最初だと言われています。

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そう言われるとなんだかすごいですねー。
現在はこの場所ではなく、石段街の一番上のほうに店舗があるようです。



ゆるやかな坂をしばらく登ると見えてくるのが、河鹿橋。
この下を流れる川の色が、やはり温泉ですね。

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河鹿橋の側にある伊香保温泉の飲泉所。

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水と温泉がありますが、温泉の方はかなり鉄の味がしたようです(僕は飲みませんでした・・・なんとなく)

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飲泉所を過ぎて先に進むと、伊香保温泉の最奥、伊香保露天風呂に到着しました。
そんなわけで、5か国の女子6人と、グローバルかつボーダレスな混浴を楽しんだのでした!(←妄想度100%)

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ちがうちがう、今回の目的は露天風呂ではなく、その向かいにある伊香保温泉の湯元をのぞきに来たんだった。

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なんだ、この未確認飛行物体みたいなのは?

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中をのぞくと・・・
湧き出てますねえ、伊香保温泉の源泉が。

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水に浮いている膜みたいなものが、湯の花だそうです。
本物の源泉ですね。

源泉湧き出し口の横には、ベルツ博士が。
ベルツさんはドイツの医師で、明治時代に日本に招かれた外国人のひとりとして、日本の医学界の発展に尽くしたお方。
あれ?しかしベルツさんは草津温泉を世の中に広く紹介した人じゃなかったっけ?

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と思ったら、伊香保にもやって来ていて、温泉入浴館付自然公園(クアパークみたいな感じ)の設計指導などをしたそう。

そしてこんな碑も。

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ラドン温泉、とよく聞きますが、資料を見ても学術的にはちっともわかりませんでしたので、省略いたします。



さて、温泉の最奥部から、再び温泉街の方へ戻って少し裏道なんかを通ってみます。

なんか趣のある裏道と建物ですね。

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ここは横手館という老舗の旅館です。
「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋のモデルか?と言われている建物は日本全国(台湾やアジアも含めると世界各地)にありますが、ここもやや近い雰囲気があります。

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伊香保のバスターミナル付近からの遠景。
標高は800m。
正面の真白な谷川岳の向こうは、新潟県です。

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伊香保といえば、射的。

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伊香保には射的屋さんが12件もあるそうで、おそらく日本屈指の射的天国なのではないかと思います。

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夜の射的屋さん。

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女の子にはおじさんが優しく教えてくれました(笑)

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夜の石段街。

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射的をやって、裏道にあるスナックでカラオケ歌って、伊香保の夜は更けてゆくのでした。。。

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はい、これも仕事ですよ、仕事。



<2015年3月5日訪問 終わり>




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いかほ温泉 日本の名湯 前編 【群馬県・伊香保】

 2015-03-16
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かほ温泉 日本の名湯


群馬県人ならだれでも知っているご当地かるた、「上毛かるた」の「い」の句でもこう詠まれる伊香保。
温泉街の長い石段はみなさんも見たことがあるかもしれません。

仕事上でちょっとした関わりがあり、最近、伊香保に行くことが多いのです。
僕は群馬出身ということもあり、今までも伊香保には何度となく行ったことがあるのですが、実は伊香保の温泉街を隅から隅までじっくりと歩いたことはなかったのです(あるいはあったとしても、もう昔過ぎて忘れているのかもしれません)。

今回は伊香保に泊まってなんちゃって国際会議をしていたのですが、会議終了後に一緒に滞在していた外国人を温泉街散策に案内する機会があり、初めて伊香保をじっくりと歩いて巡ることになったのでした。
ちなみに外国人とはドイツ、ニュージーランド、中国、韓国、台湾というメンバーだったので、よーし、ここはいっちょ独英中韓の4か国語で通訳案内やっちゃろーか、と思いましたが、「お気持ちは大変ありがたいのですが、大変時間もかかりそうですし、全員日本語ペラペラなので、ぜひその流暢な日本語でお願いします」と言われてしまいました。
あー残念。


伊香保温泉は、群馬県のほぼ真ん中にあり、以前は伊香保町として独立した自治体でしたが、、今は合併して渋川市(自称、群馬の真ん中=日本の真ん中だそうです)の一部となっています。

東京からは約150km、関越自動車道の渋川伊香保ICで降りて20分。
公共交通機関だと、JR上越線の渋川駅からバスで20~30分です。
渋川市街から県道をずっと上り続けると、やがて伊香保の町なかに入ります。



伊香保の市街に入ったところにこんな展示がありました。

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これはかつて伊香保電気軌道(のち東武伊香保軌道線)として渋川~伊香保間を走っていた路面電車だそうです。
もう50年以上前に廃止されたようですが、よくこんなところまで路面電車で登って来たなあ、という感じです。
渋川~伊香保間は直線距離は10キロ程度ですが、標高差は500m以上ある感じです。きっと相当急勾配だったでしょう。

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伊香保の有名な石段街入口は、県道沿いに銀行や旧町役場が並ぶ、伊香保の中心地にあります。

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階段の数は、参百六拾五(365)段。
これは「温泉街が1年365日、にぎわうようになってほしい」という繁栄の願いが込められているそうです。
なにかスゴイいわれがあるのかと思ったら、意外に打算的な理由でした・・・・・


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最初はこんなまったりした感じではじまる石段ですが、やがてだんだん幅も狭くなり、両側にお店が立ち並ぶ温泉街へと変わっていきます。


石段街を登って少し行くと右手に現れる市営の共同浴場、石段の湯。
伊香保の共同浴場は、ここと伊香保湯元にある伊香保露天風呂の2か所だそうです。
ちなみに、石段の湯は内湯のみです。

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岸権旅館の前には自由に入れる足湯もあります。

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やがて「ザ・伊香保石段街」という感じの街並みになってきます。

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途中の石段に何か書いてあるのですが、

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これは伊香保温泉の常客だった与謝野晶子の「伊香保の街」という詩なのだそうです。

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石段の頂上間近のあたりから眺めた図。

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上のほうに伊香保神社が見えてくると、長かった石段街も終わりになります。




<2015年3月5日訪問 つづく>



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たびねす新着記事掲載!安芸の小京都竹原で江戸時代へと時空旅行

 2015-03-14
門家が教える旅先ガイド「たびねす」に新着記事掲載しました!
「夜の竹原フォトアルバム」を記事にした感じです。


  入口⇒ 安芸の小京都は夜こそ幻想的!竹原で江戸時代へと時空旅行


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ぜひ読んでみてください!



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幸せの黄色いバス 【鹿児島県】

 2015-03-10
スを待っていました。
鹿児島に出張していたときのことです。
初めて訪れる小さな町の、南国風の街路樹の下のバス停でした。

僕の隣には、南国にしては珍しい、透きとおるように色の白い女子高生がいるだけでした。
「バス、なかなか来ないね」
「1日5本しかないし、鹿児島市内からここまで来る間によく遅れることがあるんです」
2人っきりの気詰まりな時間に耐えられず、そんな風に会話が始まりました。

東京から観光の仕事でやってきた、という僕を珍しく思ったのか、彼女はその町のことをいろいろと話してくれました。
都会の人から見たら、きっと何もない、退屈な町だろうということ。
学校を卒業すると、ほとんどの友達が鹿児島や福岡に出て行ってしまうくらいだから、都会からやって来た人たちでこの町が賑わうなんてことは想像もできない、ということ。
でも一年中暖かくて、静かな町だから自分はずっとここに住んでいたい、ということ。

本当に2月とは思えない暖かな午後でした。
「だってもう菜の花も咲いてるのに・・・」
彼女は僕の着るコートを指差して笑って言いました。
「町はずれから海に突き出た灯台の丘にかけて、本当にどこまでもずっと菜の花ばっかりが咲いてるんです。都会の人に自慢できるのは菜の花だけかな。。。」
この町に関して事前に調べた資料で、菜の花が有名なのは知っていた、と僕が話すと彼女は
「じゃあ、菜の花バスの話って知ってますか?」
と言って、ちょっと恥ずかしそうな表情を見せたのでした。


『菜の花バス』と呼ばれる、黄色いバスがこの町のどこかにあるのだといいます。
でも誰も見たことがない、幻のバスなのです。
菜の花バスに乗って、終点にある町はずれの菜の花畑で抱き合うと、2人は一生結ばれる。
そしてそんな伝説だけがまことしやかにささやかれているのです。

「もちろん私も乗ってみたいんですけど、もし大好きな人が一緒じゃないときに、菜の花バスが来ちゃったらどうしよう、ってバス停で待っているときにいつも考えてるんです」

そんな話を聞きながら、菜の花バスの話は話題づくりに使えるかもしれないな、とぼんやりと考えているとき、ようやく遅れていたバスがやって来たようでした。



彼女の表情が凍っています。
やがて、見たこともないような鮮やかな、黄色いバスが目の前に停まります。

🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍

バスの中で彼女は黙っている。
乗客は僕たちのほかにはいない。
一番後ろ座席に、僕たちは2人っきりで並んで腰掛けたまま、バスに揺られている。
菜の花バスは不思議な乗り物だ。
ずっとこうしていつまでも、どこまでも、揺られていたい気分にさせてくれる。


「本当は、大好きな人と乗りたかったの・・・」
そういって彼女が僕にもたれかかる。
「菜の花畑にうもれて、裸で抱き合いたかったの」
「大好きなひとがいるの?」
「今は、いません。でもいつかできるかもしれないけど」
「そのとき、また菜の花バスに乗ればいいさ」
ううん、と大きく首を振って彼女は言った。
「菜の花バスは一度しか現れないの。だから、今日、菜の花畑に連れて行ってください」


菜の花バスはいつまでも、どこまでも走る。
こうしてずっと旅しているのも悪くないな、と思う。
でも、たぶん、菜の花畑はもうすぐだろう。
ちいさな町の市街地を抜け、バスは海へと続く丘陵を登り始める。
ここを越えたら、きっと一面の黄色い世界だ。


降車用のチャイムが鳴る。
僕は彼女の身体をそっと引き離し、降車口へと背中を押す。
菜の花畑を見下ろす丘のてっぺんで、彼女はバスから降りてゆく。
町の市街地へと戻ってゆく彼女を車中からいつまでも見送りながら、僕は菜の花バスで終点へと向かう。

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僕がこの町の仕事をさせてもらうようになれたら、きっともう一度、君のために菜の花バスを走らせてあげるよ。
だから今日はさようなら。
大好きなひとが早く見つかるといいね。

僕もこの幸せの黄色いバスに乗って、僕の大好きな人を迎えに行くから。




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