1982北海道‐3 函館~網走 1日縦断【函館‐札幌‐旭川‐網走】 

 2015-06-28
 前編 1日目 日本海を1日で縦断



 2日目:函館2351→(車中泊)→札幌651/902→旭川1147/1151→網走1927/2223→浜小清水2250(駅泊)


、気づいてみたら札幌駅に着いていました。
夜中に目を覚ましたら、峠越えの真っ最中で、そのあとに目を覚ましたら灰色の海岸沿いだった、とメモにあるので、途中、ニセコあたりの峠越えや小樽銭函あたりの海岸区間で一度は目を開けたのでしょうが、疲れていたのでしょう、そのまま起きることなく、終点の札幌まで眠り続けていたようです。


函館線夜行鈍行の時刻表

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当時の札幌駅。

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そういえば昔の札幌駅は青かったんですよね。
このあと僕が札幌に住むことになって、やってきた時はまだこの駅舎でした。
札幌で大学生として過ごしていた5年の間に少しずつ工事が進んで、大学を卒業する頃にはちょうど新しい駅舎が完成して、駅ビルも開業し、高架のホームになっていたんだと思います。


ちなみに今の札幌駅(2014年10月撮影)
大丸やJRタワーができてからはもう当時の面影もありませんね。

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さて、札幌滞在予定時間はなんと2時間!無茶やりますねー。
そんなわけで市心の主要観光地くらいしかまわっていないようです。

旧道庁。
これはさすがに今もほとんど変わっていないですね。
この日は残念ながら雨だったようです。

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時計台。
最近は日本3大がっかりスポットのひとつとしても有名だそうですが、僕は全然がっかりしませんでしたよ。
見えませんか、この白い時計台の後ろに広がる明治の札幌の雄大な景色が。
あっ、クラーク博士がいた。右手を中空に向けて指さしながら何か言ってるぞ。
「Boys, be ambitious!」
がっかりするのは、あなたに妄想力がないからですよ(笑)

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大通公園
晴れていればもっと人出も多くて、とうきび(とうもろこし)の屋台なんかも出ていたのでしょうが、残念ながら閑散としています。

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このほか北大にも行ってみたかったようですが、どこにあるのかわからず行けなかった、というメモがありました。
駅の裏だよ裏、あんな馬鹿でかい敷地がなぜ見つからなかったんだか理解できません。
まあその数年後、いやでも通うことになりましたが(笑)


札幌駅スタンプ。

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さて、札幌からは旭川行の各駅停車に乗り、旭川ですぐに網走行きの列車に乗り換えとなります。
31時間かけて札幌に到着し、わずか2時間の観光ののち、再び10時間半の移動です。
若いですね。頑張りますね。


旭川から網走までの時刻表。11時51分発網走行きの列車に乗っています。

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これもディーゼル機関車に引かれた古い客車列車でした。
出入口のドアなんかは開放したまま走っていたので、走っている列車から身を乗り出すことも飛び降りることも可能でした。まあその気になればですが。

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上川を過ぎると石狩と北見の国境、石北峠越えとなります。
今はもうない「上越(かみこし)駅」。北海道の国鉄でもっとも標高の高い駅でした。

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でもよく見ると、この駅は時刻表には載ってないですね。
きっとここは正式な「駅」ではなく、当時の北海道にたくさんあった「仮乗降場」という扱いの停車場だったのでしょう。
「仮乗降場」というのは、国鉄が正式に認めた駅ではなく、各地の鉄道管理局が、利用者の利便性を高めるために、仮に設置した簡単な乗降場のことで、全国に百数十の仮乗降場があったようですが、そのほとんどが北海道にあったそうです。

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駅間が長いため、ここで列車行き違いの交換があったのでしょう。ディーゼル急行の上り大雪号が横を通過していきました。
この駅は石北峠の国境近くで、人家は一軒もないため、今は信号所となっていて、旅客の乗降は扱っていませんが、こうした列車交換の場所としては今でも使われているようです。

昔は上川から上白滝までの石北峠越えの前後に、上越だけでなく、天幕、中越、奥白滝という駅がありましたが、今はすべて廃止されています。そのためこの区間は34キロの間、ひとつも駅がない、という状態になっています。
まあ、山手線一周の中に東京駅しかない、と想像してもらえればわかりやすいですね。
しかも、この区間を走る各駅停車は1日に1往復しかないので、残った上白滝駅も、1日に上下1本づつしか列車が止まらないというすごい状態になっています。


石北峠を越えると、やがて遠軽。
駅のホームからの遠軽のシンボル、瞰望岩が見えます。

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また石北本線の列車はすべてこの遠軽で進行方向が変わるスイッチバック駅だったため、鉄道の要所としても栄えたといいます。当時はこんなに立派な転車台があったんですね。今も残っていれば天然記念物モノですよね。

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遠軽で52分(!)もの長時間停車をしたのち、北見、美幌といった石北本線の主要駅を通って網走到着は19:27。

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網走で駅員さんに近くの銭湯の場所を聞いたら、近くに銭湯はないけれど・・・と言って日帰り入浴ができる旅館を教えてもらった記憶があります。
毎日列車、もしくは駅泊ですから、当然どこかで風呂には入らないといけないので、夕方、銭湯のありそうな町で時間の確保は必須だったのです。
ここで銭湯に入れないと、いくら若くて穢れなく、天使のような僕でもさすがに衛生的にまずかったので、大変助かりました。
駅前から網走川の橋を渡って・・・というところまでは覚えていますが、そこから先はさすがにもうわかりません。
去年網走に行ったときにちょっと時間があったので、懐かしくなってちょっと探してみましたが、まったくわかりませんでした。

無事、風呂に入り、網走発の釧網本線最終列車で釧路方面へ。
網走の隣りの鱒浦という無人駅で泊まろうと思っていたようですが、車掌から「泊まるんだったら浜小清水のほうがいい」とアドバイスを受けたようで、夜間は駅員がいない浜小清水駅の広々とした駅舎で泊まったようです。

当時は、車掌さんや駅員さんをはじめとする鉄道マンもビンボー学生旅行者にやさしかったんですね。
それともそれは僕がまだ若くて天使のように穢れなかったからなんでしょうか・・・(しつこいですね、これで終わりにします)


<つづく>



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1982北海道‐2 日本海を1日で縦断【高崎‐青森‐函館】

 2015-06-26
1日目  高崎046(車中泊)→長岡445/514→新津6:14/6:36→村上811/823(急行)→酒田1018/1059→青森1940/1950(青函連絡船)→函館2340/2351→(車中泊)


越線の長岡行き夜行普通列車に高崎駅から乗り込みます。
この列車は上野発なので、真夜中に途中駅から乗り込む形になります。当然乗客はすでに大半が眠っていて、たとえボックスシートに空席があっても、そこに横たわったり、足を伸ばしたりで、ほとんどの座席は占領されている状態で高崎駅に到着します。
そんな列車に途中から乗ろうとするなんて、やっぱり若さですね。
メモ帳には特に座れなかった云々の記載がないので、たまたま高崎で下車した乗客がいて、うまく座れたのでしょうか?

この列車に乗っている時間は4時間程度なので、おそらくまともに眠れないまま長岡に着いて、新潟行きの列車に乗り換えたのだと思います。

乗り換えの新津駅の写真が残っています。
上越新幹線開業、という文字があります。そういえば上越新幹線は東北新幹線とともにこの年の秋に開業したんですね。

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新津発6:36の普通列車で村上へ。
メモを読むと、赤くて比較的新しい客車列車だったようです。

村上からは酒田までの区間、この旅で唯一の急行列車「羽越1号」に乗車しています。
もちろん青春18きっぷでは特急・急行には乗れないのですが、急行料金のほかに普通運賃を払ってでも、この区間を急行に乗ったのは理由がありました。

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下の時刻表をご覧いただくとわかるのですが、急行「羽越1号」に乗ると、その前を走っていた青森行きの普通列車に酒田で追いついて乗り換えることができ、その結果、青森19:50発の青函連絡船にギリギリ間に合うのです。
この青函連絡船に乗ると、函館から札幌行の夜行列車にこれまたギリギリ間に合い、2日目の朝には札幌に到着できるのです。

図2 (600x800)



逆に言うと、この急行に乗らないと、青函連絡船の中で夜を明かして札幌に着くのが翌日の15:51、結局9時間も遅くなってしまう、ということで、ビンボー学生ながら苦渋の決断でこの選択をしたのだと考えられます。。。

この急行「羽越1号」で乗った区間は、日本海側を走る羽越本線のハイライト。
笹川流れという奇岩の続く海岸線がしばらく続きます。

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酒田で前を走っていた新津発青森行きに追いつき、乗り換えます。
しかし、この列車、すごいですね。新津を朝5:38に出て、青森到着は19:40、都合14時間の超長距離鈍行列車です。車両も銀河鉄道999みたいな茶色くてボロボロの客車。でも昔はこんな列車もたくさんあったんですよね。
途中、秋田で22分停車、東能代22分停車、弘前16分停車という感じで、ところどころで休みながらのんびりと進む長老、という感じの列車でした。

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奥羽本線の大久保駅。
なんで大久保駅か、っていうと「大久保先生」という僕たちの間で人気の名物教師がいたので、その先生に敬意を表してちょっと長い停車時間を利用して記念撮影したんだと思います。
ここには載せませんが、駅名標の前で満面の笑みで記念撮影している写真が残っていました。
アホですね。

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青森到着は19:40
青函連絡船は19:50ですから、乗り換え時間が10分しかありません。
青森駅が近づくと、車掌から青函連絡船の乗船名簿が配られ、そこに住所・名前を記入して乗船時に提出するよう言われます。
やがて連絡船に乗る乗客が、ぞろぞろと車内を歩いて列車の一番前に移動をし始めます。
青函連絡船の青森桟橋へは、長いホームの一番北(進行方向先頭側)からの乗り換えになるからです。

 ♪ 北へ向かう人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを聞いている ♪

津軽海峡冬景色の歌詞じゃないけど、連絡船時代の青森駅(北海道側は函館駅)でよく見られた懐かしい光景です。



まあとにかく初めての青函連絡船「摩周丸」に乗り込んで、僕たちはとうとう津軽海峡を渡ったのでした。
天使のように無垢で無知で穢れのなかった僕たちは、その船内の豪華さに驚嘆した、とのメモが残っています。
「売店、シャワー、電話、食堂、サ店、なんとテレビゲームまであり、娯楽室もある!その豪華さにびっくりした (原文ママ)」
青いですね。
サ店って死語だよ、サ店って。

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函館着23:40
今度は函館発23:51発の夜行鈍行札幌行に乗り換えです。
11分という乗り換え時間の短さはまあ何とかなるとして、夜行列車に発車直前に飛び乗る、ということは座席の確保は運次第、ということなのですが、そこもあまり深く考えていなかったんでしょうね。
30分も1時間も前から並んで待って確実に座席を確保するよりは、とにかく効率よくさっさと移動する、というほうが優先されていたのでしょう。

案の定、乗り込んでみると座席はほぼふさがっています。
仕方なく洗面所のところに立っていると、親切なOLふうのおねーさん4人が、もう降りるから座っていいよ、と4人掛けのボックスを譲ってくれました。
「それとも私たちと一緒に、大沼公園のロッジに泊まる?うふっ」

というのはいつの間にか僕が頭の中で作り上げた妄想で、メモを見るとホントは親切な老人4人に席を譲ってもらったようです。

昔の人は、こんなビンボー若者旅行者にみんな優しかったのでしょうか。
それとも僕が天使のように穢れなく美しかったからなのでしょうか?



列車は明かりひとつない、真っ暗な闇の中を、札幌に向けて走り続けます。



<つづく>



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青春18のびのびきっぷの旅 1982‐北海道 【出発編】

 2015-06-23
Wのたった5日間の関西紀行を、目一杯引っ張って1か月半のシリーズに仕上ましたが、とうとうそれも力尽き、今日から新たなシリーズとなります。

近頃あまり遠出しておらず、ネタも切れ気味。過去のものを掘り出してこないといけないのですが、季節的には夏のネタですね。
なかなか夏のネタ、ないなあ、と思っていたらありました。
実家から持ち帰ってきた昔のガラクタ箱の中に、昔の旅アルバムがあったことは先日の「青春18のびのびきっぷシリーズ」で書きましたが、その第2弾として、夏の北海道編のアルバムが残っていたのでした。

これはまだ、僕が天使のように穢れなく真っ白で、品行方正だった、高校生の頃の夏のお話。

僕たちは、その年の春に新発売された、国鉄全線が乗り放題となる夢のようなきっぷ「青春18 のびのびきっぷ」を使って北陸・飛騨・甲信越を初めて友達同士で回ったのでした。
そしてこの夏休みにその第2弾が発売されることになり、今度はそれを2冊(計10日間分)使って、北海道を一周しよう、という話になったのでした。


春に続き、今回も友達4人(オール男子)での旅。
メンバーがオール男子なのは、僕たちが当時男子高に通っていて、周りに女子の友達がいなかったから。
まあ、その気になれば声をかける女子だっていなくはないことはないような気がしないでもなくって、結局いるのかいないのかよくわからなかったんですが、まあいずれにせよ夜汽車に泊まったり、無人駅で寝袋で過ごすのに、この年頃の女子は誘えないですからね。昼も夜も、ほぼ24時間同一行動なので、間違いがあったら困るし。
・・・いや、困らないか。

話がちょっと脱線しました。。。



さて、これが実際に使った切符。

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青春18「のびのび」きっぷ、という名称はこれが最後でした。
次の発売からは「青春18きっぷ」という名称になり、今でもその名前が続いていますが、それまでの2回は「のびのび」が入っていたのです。そう考えるとこれも貴重なきっぷですねー。

日付を見ると昭和57年(1982年)の8月22日から有効になっています。しかしメモや残っている資料を見ると、この旅は8月23日からはじまったことになっていて、この1日(22日)の空白が謎なんですが、そこに何があったのか、もう思い出せないので23日からスタートした、ということで進めます(笑)



スタートは、前回の春休みと同じ、上越線の長岡行夜行。
高崎駅を日付が変わったばかりの午前0時46分に出発するので、青春18きっぷの1日目をフルに使えるのです。
途中記録が残っている部分までの日程をざっくりと書いてみるとこんな感じです(1982年3月号の時刻表を参考)。

①高崎046(車中泊)→長岡445/514→新津6:14/6:36→村上811/823(急行)→
 →酒田1018/1059→青森1940/1950(青函連絡船)→函館2340/2351→(車中泊)
②→札幌651/902→旭川1147/1151→網走1927/2223→浜小清水2250(駅泊)
③浜小清水722→釧路1137/1220→帯広1619/1839→幸福1910/2003→帯広2031/2251→新得2349(駅泊)
④新得1057→富良野1244/1542→旭川1717/1730→名寄2002/2152→音威子府2258(駅泊)
⑤音威子府416→稚内752/932→名寄1417/1421→朱鞠内1528/1532→深川1748/1820→札幌2058/2133→(車中泊)
⑥→長万部140/252→倶知安437/744→壮瞥956/1000(バス)→洞爺湖1020→(ここから先メモなく不明)→函館015→(船中泊)
⑦→青森440→(ここから先メモなく詳細不明)→遠野→仙台(駅泊/仙石線のホームで泊まった覚えあり)
⑧仙台→松島海岸→高崎(詳細不明)

図1
(テキトーに行程をなぞると、こんな感じ)

まあこうしてみると突っ込みどころ満載ですね。
たとえば夜。車中泊・船中泊・駅泊・・・8泊中、1泊もベッドで寝てないですね。
たとえば観光の少なさ。これ見ると、ほとんど移動ですやん。
たとえば今はない鉄道路線の多さ。広尾線、天北線、深名線、胆振線。今はなき国鉄の名路線に、こうして乗ってたんですね。



次回からそんな感じで、わずかに残った写真やきっぷ、そして当時収集していたのか、大量に残っている駅スタンプ(笑)を中心に、30年以上前の古き良き北海道を紹介してみたいと思います。


<つづく>



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父の日のおとしもの 【岡山県・津山市】

 2015-06-21
れはもう、今から10年以上も前のこと。
日曜日の朝、寝ぼけ眼で遅めの朝食を食べていると、玄関から娘が駆け込んできました。
「パパ、たいへん。お手紙のおとしものだよ。おうちの木の下にあったんだよ」
僕の家の塀の向こうには、小さな郵便ポストがあるので、それは昨日か一昨日あたり、何らかの不都合でポストからこぼれ落ちてしまったものなのかもしれません。

「パパ、お手紙、なんて書いてあるの?」
そう聞いてきた娘に、『速達』の印のある、きれいな色彩のハガキを読み上げながら、これは大変な手紙を拾ってしまったな、と思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


お父さん。

4年前の6月の日曜日のこと、覚えてますか?
私が高校2年の修学旅行の日の朝、確か5時よりもずっと前。

あの頃、お父さんは仕事でどんなに遅く帰ってきても、私の苦手な数学の勉強をみていてくれたよね。でも私、そんなお父さんにいつも反抗してばっかりだった。
前の日もいつものように些細なことで私が怒って喧嘩になって、お父さんがわざわざ日曜日に早起きしてくれたのに、私、お父さんのことずっと無視してたよね。
あの朝も家の前まで出て、私のことずっと見送ってくれてたのに、私、大通りの角を曲がるまで一度も振り返らなかった。

ホントはね、私だって、ずっと迷ってた。
いつ振り返ろうか、いつ「行ってきま~す。バイバイ!」って言っちゃおうか、って。
そうすればこんな悲しい思いなんかすぐ消えちゃうのに、って。
でもそのときはそれができなかったの。
せっかくの父の日だったのにね。

私がこっちでひとり暮らしをはじめて、今日ははじめての父の日ですね。
あのときは言えなかったけど、今なら言えるような気がしたので手紙を書いてみました。

お父さん、あのときはごめんなさい。
そして父の日おめでとう。
いつまでも、そのままのお父さんでいてね。

では。
                                  さとこ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「このおねえちゃんがおとうさんと仲直りするために、パパ、このお手紙届けてあげて!」
6歳の娘にも、事の重大さがわかっているようでした。

差出人は「さとこ」という名前だけ。おそらくこの近くに住んでいるはずですが、住所は書いてありません。
どのみち、この手紙は父の日に届かなければ意味がなくなってしまうでしょうから、今から差出人に戻したところでどうしようもありません。
届け先は岡山県津山市。
今から出かければ、夕方までには届けられそうです。


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東京から3時間、岡山で新幹線からローカル線に乗り換えてさらに2時間、津山という盆地の町に到着したときはすでに夕方の4時近くになっていました。
桜で有名なお城跡のすぐそば、古い門構えの町並みが残る、旧城下町地区の一角に、そのお父さんの住む家がありました。

今日読んでもらわなければ意味がない。
そう思って僕はハガキをポストには入れずに、立派な外門の扉の隙間に挟み込み、呼び鈴を押してから、何事もなかったように再び駅の方角へと戻りはじめました。
ちゃんとお父さんが取りに出てきてくれるといいのに、と思いながら。



「すいません、これ・・・」
旧城下町の狭い2車線道路から、中心部の大通りへと曲がったところで、そう呼びかけられました。
「このハガキ、あなたが?」
大急ぎで追いかけてきたのか、白い頬を上気させて薄い朱に染めた、若い女性が肩で息をしながら立っていました。
「うん」
「どうしてあなたがこれを・・・・・?」

彼女がこのハガキの差出人でした。
「結局、昨日の夜、ここに来ちゃったんです。寂しくって3ヶ月ももたずにあっけなく初の里帰り・・・」
彼女は駅までの道を歩きながら、そういって照れくさそうに笑いました。
「なので、このハガキをお父さんに見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて。これを見られないように今日の郵便が来るのをずっと待ってたら、こんな不思議な形で届けられたので・・・・・」
「いい手紙だったから、せっかくここまで届けにきたのに・・・・・」
僕がそう言うと彼女は、本当にごめんなさい。ありがとう、と何度も何度も繰り返してからこう言いました。
「ちゃんと郵便受けには投函しておきます。でもホントに恥ずかしいから、私が帰る時ですけど。そうだ、私も東京まで一緒に帰っていいですか?明日からまた仕事ですし、このハガキが着いたら帰ろう、って思ってたので。。。」



1時間後に駅前で待ち合わせて、僕たちは一緒に帰ることにしました。
彼女は今年二十歳で、地元の短大を卒業して東京に就職し、4月からアパートで初めて一人暮らしをはじめたこと、まだなかなか東京での生活に慣れずに困っていること、寂しいときはお父さんを思い出してしまうこと。
夕暮れの、けだるそうな橙色の中を走る2両編成のローカル列車の中で、彼女は、やすむことなくずっとそんなことを話していたかと思うと、新幹線に乗ったとたんに、疲れたのか、天使のように静かでかぼそい寝息をたてていました。



「今日はありがとう。初めてお会いしてこんなこと言っていいのかわからないんだけど。。。よかったらアパートに寄っていってくれませんか?」
僕たちの住む街の駅を降りると、彼女は僕の左手をそっと取りました。
今日だけは、またひとりになってお父さんを思い出すと、余計に寂しくなっちゃいそうなので。

日曜日の夜、午後23:30過ぎ。

でも父の日が終わりになる前に、僕も娘にちゃんと報告をしなくちゃいけないんだよ。
「あのおねえさんとお父さんは、父の日にちゃんと仲直りできたよ」って。

父の日のおとしものがあった、家の前の郵便ポストを通り過ぎ、アパートへとひとり帰ってゆく彼女の後ろ姿を見送りながら、僕はそんな風に思っていました。


<おわり>



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R-15の源氏物語ミュージアムとか伊右衛門に入門とか【京都宇治】

 2015-06-18
見の稲荷山を下山したあと、今回のGW旅の最後に向かったのは、宇治。

京都に来たからには抹茶が飲みたい、と娘が言い出したので、伏見からそのまま南下して、宇治茶の本場に行ってみることにしたのでした。

考えてみると、僕は宇治には高校の修学旅行で一度来ただけで(たぶん。平等院に来たと思いますが、確信はありません。。。)、個人的にこうやって駅に降り立って町を歩くのは今回が初めてでした。

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宇治といえば、①宇治橋

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伊勢神宮にも五十鈴川にかかる宇治橋があって、あっちのほうが有名な気がしますが、宇治の宇治橋は日本三古橋のひとつだそうです。
宇治橋から東側の眺望。

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宇治川と新緑と、遠くに見える橋の赤い欄干がきれいですね。



宇治といえば、②紫式部

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紫式部といえば源氏物語。
源氏物語といえば京の宮中で男と女があーなっちゃったり、こーなっちゃたりする平安王朝貴族ど真ん中のお話しなのですが、全54帖のうちの最後の10帖はこの宇治が舞台になっているのです。
おー、宇治10帖か、懐かしいなー。
文学部国文学科卒なので、家族の手前、一応そんなことを言ってみたりします。まったく無反応でしたが。

そんなわけで、宇治橋の先にある源氏物語ミュージアムに行ってみます。
ここは文字通り、世界で唯一の源氏物語に関する博物館。1998年に開館して「源氏物語」に関する資料の展示やシアターでの映像ゾーンなどがあります。

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(館内写真NGっぽかったので、イメージですが)

入ってみると、夕霧とか紫の上とか葵の上とか、光源氏と懇ろな関係にあった女性たちの名前が思い出されてなんとも懐かしい。
なんだ俺、それなりに勉強してたじゃん。女の人の名前しか覚えてないけど。。。
(文学部時代、源氏物語のゼミを1年間受けてました)

見ているうちに娘も「源氏物語」に興味を持ったらしく、
「ねぇねぇ、源氏物語って簡単に言うとどんな話?」と質問してくるのですが、これがまた年頃の娘には答えにくい。

光源氏っつーイケメンのヤリ○○が、目につく好みの女を片っ端から手籠めにしていく話なんだよーとは、いと答えにくし。

しかも館内のシアターでみたオリジナルの映像の中には、男の女の過ちを想起させるシーンとかがバンバンあったりして、おーいこれR-15くらいにしたほーがいいんじゃねーの?という感じです。

年頃のお子様と行かれるお父様、お母様、そのあたりを覚悟の上、お越しください(笑)



宇治といえば、③平等院

ですがGWなので、ここもやはり人・人・人。

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鳳凰堂内部の拝観も中に入るまでにずいぶん時間がかかりそうだったので、残念ながら今回は、パス。
極楽浄土の世界に到達するまでには、まだまだ修行が足りないっす。

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宇治といえば、④福寿園

・・・まあ、宇治にはお茶の名店がたくさんあるので、福寿園じゃなくってもよかったんですけど、なんとな僕の高校時代のヘアスタイルリーダーのモックン、もとい、伊右衛門に敬意を表してここにしてみました(というより福寿園以外よく知らなかったので)。

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何軒か店舗があるようですが、宇治川のほとりにある店舗は平等院から出て川沿いに進むとすぐ。
風光明美な場所に建ってます。

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ここでは自分でお茶をたてて飲めるセットもある、ということだったのでチャレンジ。

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ティーセレモニーセット、1000円税別でした。

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まあ、それなりに、こんな色に仕上がりました。

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そのほかにも町をブラブラしながら抹茶ソフトを食べたり、なかなか飽きない町でしたよ、宇治。

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<2015年5月6日訪問>





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鳥居のち鳥居、一時鳥居、ときどき鳥居【京都・伏見稲荷‐2】

 2015-06-16
前編 外国人人気No.1 千本鳥居のち赤い悪魔



つづき

間も早いので、どうせなら伏見稲荷の一番奥まで行ってみようか、とその時は軽ーい気持ちで思ったのでしたが。。。

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案内図をよく見ると、現在地がまだこーんなに低く手前の位置にあることにも気づかずに。
(いや、気づいてたんですけど、どうせこういう地図はテキトーにデフォルメされて描いてあるんだろう、と思い込んでたのでした)

でもまあ、こんなに地図いっぱいに鳥居を書かれたら、やっぱり確かめに行きたくなっちゃうじゃないですか。
そんなわけで、僕たちは稲荷山山頂に向けてズンズンと鳥居をくぐって進みはじめたのでした。



最初はなだらかだった鳥居の道も

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だんだん傾斜がわかるようになってきて

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いつの間にか延々と階段が続く道に。。。
しかしこの景観も、なかなかですね。

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途中途中にも、小さな鳥居と社が見えます。

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途中の四ツ辻からみた京都市街。
かなり登ってきた感がありますが、まだまだこのあと三の峰、間の峰、二の峰、一の峰(頂上)と先は長いのです。

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四ツ辻にある茶屋、仁志むら亭。

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近くで散歩していた地元のおじいさんが、ここは俳優の西村和彦さんの実家だよ、と教えてくれました。

ほー、そうですか。
と答えてみたものの、どうやらその時僕の頭の中に浮かんでいたのは「西村雅彦」さんのほうで、あとで調べてみたら「西村和彦」さんの顔はあまりよく知りませんでした。


途中で鳥居の初穂料金表を発見。
この鳥居一本一本、こんな金額で奉納されてるのねん。

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号数によって料金が違うし、奉納場所によっても料金が違うのねん。
伏見稲荷全体では1万本の鳥居がある、と言われているので計算すると・・・・・(以下略)

まだまだ登りますよ。

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三の峰(下ノ社)

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二の峰(中ノ社)

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そしてとうとう、一の峰(上の社)

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ココが稲荷山の頂上です。
標高は233mと決して高くないのですが、なんだかめちゃめちゃ高い山まで登ってきた気分になります。
階段がずっと続いたからでしょうか。
ちなみに家族交代で階段数を数えていたら、だいたい片道1000段でした(テキトーですが)

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山頂の社付近には祈願が書かれた小さな鳥居がたくさん奉納されています。

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上りあれば、下りあり。
ま、帰りは行きに比べれば楽なもんですが。

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6時半から上り始めて、戻ったのが8時半ちょっと前。
すでにたくさん観光客が来てますねー
こうなるともう無人の千本鳥居の写真は難しくなっちゃうでしょうね。

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結論!
伏見稲荷は千本鳥居から先が凄かった!
最初はいちいちカンドーしてた鳥居も、最後はもう見飽きてお腹いっぱいになっちゃうくらい通ることができます。
なんてったって、ここで通った鳥居の数が多ければ多いほど幸せが訪れるんですから(想像)。

ま、とにかく稲荷山山頂を極めないで伏見稲荷に行ったなんて言っちゃだめですよーみなさん。
往復で2時間、階段2000段、ビル68階分くらい、行ってみると意外とちょろいもんですから。。。


 <2015年5月6日訪問>





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外国人人気No.1、千本鳥居のち赤い悪魔 【京都・伏見稲荷-1】

 2015-06-13
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リップアドバイザーの調査によると、日本を訪れた外国人が行ってよかったと思ったNo.1の観光スポットは、京都の伏見稲荷なんだそうです。

確かに、このどこまでも続く赤い鳥居の写真、最近よく見かけます。
基本、有名どころよりも、ひっそりと日蔭に佇むようなB級スポット巡りを好む天邪鬼な僕ですが、ここにはちょっと来てみたかったのです。

しかししかししかし、この伏見稲荷、実際に来てみると、この美しい鳥居だけじゃなかったんです。
ガイコクジンが「WoW!」とか言って称賛するこの千本鳥居だけを見て伏見稲荷を語るんじゃねーぞー!っていう感じです。
この鳥居の写真の右側の大雑把な地図にご注目ください。
「稲荷山参拝図」なーんてさらっと書いてありますが、これがクセモノ。。。

夢世のごとき美しい鳥居のあとには、悪夢のような鳥居あり。
今回はそんな物語です。



伏見稲荷大社は、京都駅からJR奈良線で2駅、その名もずばり「稲荷」駅で下車するともうすぐ目の前にあります。

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駅舎もやや、稲荷ふう。

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駅前からすぐにまっすぐ続く参道。

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誰もいない千本鳥居の写真が撮りたかったので、早朝からやってきたのでした。

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お稲荷さん(稲荷大神)のお使いといえば、キツネ(狛狐)。だから稲荷大社にはたくさんのキツネがいるのですが、最初に目についたのが第一鳥居の前にいたやや逆立ち気味のキツネ。
この金色の物は、稲穂なんだそうです。
なぜか色っぽい格好です。。。

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全国約30,000のお稲荷さんの総本宮がここ、伏見稲荷大社。
金色に光ってますよ。さすがに立派です。

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1589年、秀吉の造営とされている、桜門をくぐり、正面の本殿に向かいます。

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さすが伏見稲荷。
ここは絵馬ではなく鳥居に願い事を書いて祈願するんですね。

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願いが通る。なるほどー

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有名な千本鳥居はこの先、奥社奉拝所までの間にあります。

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じゃーん!来ました!これが千本鳥居入口です。
一方通行になっていて、右側が行き、左側が帰り道になっています。

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さっそく中を歩いて奥社に向かいます。
狙い通り、まだ人も少なかったので、無人の千本鳥居、撮り放題です。

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ちなみに、反対側(帰り道)はこんなふうになっています。
鳥居を奉納した人の名前が裏側に掘られているんですね。

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奥社に到着すると、また伏見稲荷オリジナル発見!
絵馬じゃなくて絵キツネなんですね、ここは。

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表情も自分で書けるところがなかなかいいですね。



奥社の奉拝所の右側後に、一対の石灯篭があります。

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これが、おもかる石。

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この灯篭の前で願いごとをしてから石を持ち上げるのですが、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願いっごとが叶い、重ければ叶いにくいとする試し石です。

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持ち上げるのは、この石。

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・・・結果。
めちゃめちゃ重いよこの石。
これで願い事が叶う人いるのかよー、というレベルの重さでした。
これからおもかる石を持ち上げる方、そーとーな重さを想像して臨みましょう。



さて、千本鳥居も通って、奥社まで来たのですが、伏見稲荷大社はまだまだ奥があるようです。

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まだ時間も早いので、どうせなら一番奥まで行ってみようか、とその時は軽ーい気持ちで思ったのでした。



<2015年5月6日訪問 つづく>





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「たびねす」新着記事掲載!幻の絶景鉄道、五新鉄道跡【五條】

 2015-06-11
門家が教える旅先ガイド「たびねす」に新着記事掲載しました!



  入口⇒ 紀伊山地を貫く幻の絶景鉄道、五新鉄道と奈良・五條の町並み


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ぜひ読んでみてください!



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日本で唯一、増毛祈願のパワースポット 御髪神社【京都・嵐山】

 2015-06-09
輪寺での十三詣りも終わり、今回の京都での一番の目的を達成したので、さてあとはどこへ行こうか、という話に。
GWなので嵐山はどこに行っても人、人、人。
なので、まあテキトーにブラブラ散歩することにしました。


まずは渡月橋から桂川に沿って上流方向へ少し歩きます。

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嵐山吉兆の先の角を右に曲がると出てくるのが、小倉百人一首殿堂「時雨殿」。
藤原定家が百人一首を編纂したのがこの嵐山のすぐ近くにある小倉山、ということで、百人一首の多様な世界を体感できるミュージアムがここに建っています。
ここは、任天堂のDSを使ってかるたを探したり、5人の歌人と対戦出来る体験型テーマパークだ、と聞いていたので、以前から行ってみたかったのですが、なななんと、2011年に一度休館し、リニューアルした際に展示の内容が変わってしまったらしく、今はふつーの真面目なミュージアムになっていました。

くそー、清少納言とかるた対決したかったぜ、残念!

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そのあとは天龍寺へ。

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天龍寺といえば、何といってもこの曹源池庭園が有名です。
これは南側から眺めた図。

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こっちが北側から。
この、萌える木々の緑。

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「お庭の木々が萌えすぎて、
池がぜーんぶ、おいしいお茶に見えてきちゃいました」

♪チャララチャララチャラ~ララ~♪

「嵐山天龍寺、今年もとびっきりの新茶を入れて、お待ちしています」

 (NA)ジェーアールトーカイ


・・・そうだ、京都、行こう!のコピーライティングみたいじゃないっすか!?



ま、それはそれとして・・・・・(笑)

天龍寺の北門から出て、竹林の道を歩きます。

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ここも今やフォトジェニックな場所として最近特に有名ですね。

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その先にトロッコ嵐山の駅があるので、いっちょ嵯峨野観光鉄道のトロッコにでも乗ってみようか、と進んだところ、すんごいところがありましたよ。

その名も、御髪神社(みかみじんじゃ)!

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日本で唯一、「髪」をお護りする神社とな。

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大切な髪が、いつまでも美しく、健康であるよう祈願する神社なのだそうです。

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そんなわけで、髪にトラブルを抱える人たちの願い事がたくさん!

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「娘の最初の参観日までは、元気な髪のままでいられますように・・・」
クーッ!泣かせるぜ!

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「アミアミハゲの皆さんが還暦を迎えるまでは、ふさふさでありますように」
「今のハゲから進行しませんように。あわよくば生えますように」
あわよくば、ってあなた。。。


そしてなんと、モト冬樹さんの願い事、発見!

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さらに、ブラックマヨネーズ小杉、ってこれ、絶対ネタだろー(笑)

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これが髪塚。
ここに願いごとをしながら切った髪を納めると御利益があるとされています。

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これは、誰だっけ?
髪の神?

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おおっと、玉垣には髪関係の会社がズラリと並んでいます。
これは結構マジな場所なのかもしれませんね。

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百人一首で有名な小倉山の麓、小倉池のほとりの風光明美な場所にありますので、髪に自信をつけたい!という方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?

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・・・・・ちなみに僕は、フサフサビンビンで、元気がありすぎて困っているくらいなため、髪には一切トラブルを抱えておりません。
今のところ、ですが。



<2015年5月5日訪問>





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十三詣り/二十三詣り 【京都・嵐山】

 2015-06-07
都の嵐山・法輪寺で十三詣りを終えた子供たちは、渡月橋を一度も振り返ることなく渡り終えると、一様に緊張から解き放たれたような笑顔を見せるといいます。
そう、この十三詣りには、お詣りのあと、渡月橋を渡り終えるまで絶対にうしろを振り返ってはいけない、という言い伝えがあるからなのです。

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ずっとずっと昔、そう、それは僕が新入社員研修を受けていた頃の話です。
僕たちの世代はバブル入社組と呼ばれ1000人を越える新入社員がいたため、会社の研修所には1回で収まり切らずに、その年の新入社員研修は2回に分けて行われていました。
前半が首都圏の大学出身組、後半が首都圏以外の大学出身組にというふうに振り分けられていて、僕は2回目の地方大学組の方でした。
首都圏以外の大学というと、必然的に関西の大学出身者が半数以上を占めていて、クラスはさながらミニ関西コミュニティーという様相でしたが、慣れてしまえばそれは非常にフランクで楽しい空間でした。

そんな中、僕はある一人の女の子とよく話すようになりました。最初のきっかけは席が隣り合わせだったからだと思います。彼女は京都の出身で、京都の大学を卒業して京都の支店に配属が決まっていました。
「安心といえばこれ以上ないくらい安心だけど、つまらないといえばこれ以上ないくらいつまらない進路よね」
彼女はよくそう言ってちょっと困ったような笑顔を作っていました。

4月第一週、研修所生活の最初の週末、僕は彼女から東京を案内してほしいと言われました。
僕も北海道から出てきたばかりなので東京のことはよくわからない、と言うと、なに言ってるの、と彼女は笑いました。
「あなたはこの首都圏大学以外のメンバーの中で数少ない花の東京配属組なのよ、私を案内できないくらいじゃこの先この中で生きていけないわよ」

とはいえ、やっぱり当時の僕には大した東京案内なんてできるはずもなく、最後は結局行くところもなくなり、研修終了後に僕が新しく住むことになる埼玉のマンションに行って、彼女に水回りの小物を揃えてもらったりして一日が終わってしまったような気がします。

当時は約2週間の研修を終えると、その週末を挟んでそれぞれが北海道から四国まで(僕のクラスには九州への配属者はいませんでした)全国の配属地に散って行くことになっていました。
研修の全日程が終了したのが4月12日の金曜日でした。同期との別れを惜しみつつ、明日からみんな新たな配属地に向かうというとき、彼女が突然こんなことを言いだしました。
「この間のお礼に明日、京都を案内するわよ」

京都?
僕は月曜から東京で仕事なんだけど。

そんなのもちろん知ってるわよ、と彼女は言いました。
でも明日は私の23歳の誕生日なのよ。

どうして京都に行こうと思ったのか、今でもその理由はうまく説明できないのですが、結局、僕は翌日、彼女と一緒に新幹線に乗っていました。

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彼女は京都の西のはずれにある桂というところに住んでいました。
そう、あの桂離宮のすぐそばです。
彼女の大きな家には誰もいませんでした。理由は聞くのはなんとなくはばかられたので、今でもなぜかはわかりません。でもとにかくその広い庭園付きの立派な家には、彼女がひとりで暮らしている気配しか感じられなかったのでした。

リビングで彼女の入れてくれたコーヒーを飲んでしまうと、なんだか急に静寂が気になりはじめました。彼女の誕生日に、僕はここに来るべきだったんだ、ということはなんとなく理解し始めていましたが、それでも二人っきりで黙っているにはこの空間は必要以上に広すぎました。

散歩しましょう、と彼女が言いました。
ここから嵐山まで30分もあればいけるのよ。

渡月橋の手前、法輪寺への長い石段を左手に見るあたりでしょうか、彼女が突然「十三詣り」の話をはじめました。

十三詣りは旧暦の3月13日(新暦の4月13日)前後に、数え年13歳の子供たちが行う祝いごとで、関西では七五三と同じくらい大事な行事とされているのだそうです。特にこの嵐山の法輪寺への十三詣りはとても有名で、ここにある虚空蔵菩薩が智恵と福徳を司る菩薩なので、京都の子は13歳になるとみんな晴れ着を着てここに知恵を授かりに来るのだといいます。

彼女の誕生日であった4月13日は、十三詣りの日でもあったのす。その日は土曜日ということもあって、確かに法輪寺から渡月橋のあたりにかけて、着物姿やまだ着慣れていなそうな中学校の制服姿の子供たちがたくさん目につきました。

「ただ十三詣りにはひとつだけ決まりごとがあるのよ」
そう言うと彼女は渡月橋の前で立ち止まって、僕のほうを振り向きました。
「お詣りが終わってから、お寺の参道を下って、この渡月橋を渡り終わるまで、決して振り返ってはいけないの。途中で振り返ると、授かった知恵が全部戻ってしまうの」

言われてみると、渡月橋を一心不乱に渡る子供たちの背中は、どことなく緊張に張りつめているように見えました。

「でも私ね、十三詣りの帰り道、渡月橋の上で振り返っちゃったのよ。
両親や友達からはそんなの迷信だから気にしなくていい、って言われたんだけど、私それがずっと気になってたの。
だから23歳の誕生日の4月13日に、私だけ二十三詣りをしようって、ずっと思ってたの」


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法輪寺のある小高い丘の上から見渡すと、嵐山は桜色から萌えるような緑に変わりつつある時期でした。
彼女は虚空蔵菩薩のある本堂の前で、しばらくの間、何事かを祈った後、大きく息をつくと、長い階段を降り始めました。
山門をくぐると渡月橋へと向かう道路に出て、渡月亭の前をゆっくりと歩いていきます。

「何か話してよ」
渡月橋に差し掛かると、彼女は前を向いたまま、後ろを歩く僕にそう言いました。
「私が振り返りたくなっちゃうような、何か刺激的な話」

「すぐうしろにめちゃめちゃいい男がいるけど」
「・・・そんなの全然ダメ」
「うーん、じゃあ・・・別れるのは寂しいので、一緒に東京に帰ろうか」

その刹那、彼女の歩みが一瞬乱れたような気がしました。
それでも彼女はすぐに元のペースを取り戻してこう言いました。
「ねえ、それ、本気なの?」

「・・・ゴメン、冗談」

渡月橋を渡り終えた場所では、ようやく後ろを振り返ることを許された子供たちのほっとしたような笑顔がそこここに広がっていましたが、振り返った彼女の顔に笑顔はありませんでした。

「あなたのおかげで振り返らずにすんだわ」
しばらくして彼女はそう言うと、ようやくあの、ちょっと困ったような笑顔を見せました。

そのあと彼女と僕は再会する機会のないまま、彼女の名前はいつの間にか社員名簿から消えて去っていました。
もしあの時、僕が冗談だと言わなかったら、彼女は再び振り返ってしまったのか、今でもそれはわかりません。
ただ、なんだか彼女は本当に僕と一緒に東京に戻ってしまうような気がして、その時は怖くてホントだなんて言えなかったのです。




早いものであれからもう四半世紀、僕は13歳になった娘と、京都の嵐山・法輪寺へと十三詣りに行きました。

絶対に大丈夫だよ、と言いながらも、緊張でややぎこちなく歩いてようやく渡月橋を渡り終えると、彼女の表情には何かをやり遂げたような、あるいは新しい一歩を踏み出し始めたような笑顔が広がっていました。

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13歳といえば、昔は元服といって成人とみなされる年齢でした。子供たちはこの行事を経て、またひとつ大人への階段を上るのでしょう。

10年越しの十三詣りを経て、23歳の彼女はあのあと、どんな階段をのぼって行ったのでしょうか。

十三詣り。
それは京都らしくとても風雅で、少し寂しい通過儀礼です。



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