いよいよ日本酒海中貯蔵&試飲会【気仙沼 酒と貝と女克服のたび‐2】

 2015-12-30
  
 前編 ただいま、気仙沼


なかんでの(海産物好きには)夢のような食事が終わると、いよいよ海に出て日本酒を海中貯蔵するたびへ。

あいにくの小雨模様でしたが、みんな合羽を着て、つなかんの目の前にある唐桑の漁港から、いざ、出航!

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小さな船なので、2班に分かれて出発します。

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僕(たち)が書いた心麗しいメッセージとともに、これから1年間、海の中で揺られながらじっくりと熟成されるお酒たちも、こんな風に準備万端。

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船に乗って10分ほど、湾内の牡蠣棚があるところが貯蔵スポットになっています。

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ここでまず、去年沈めたお酒の引き上げがあります。
このツアーは3回目なので、毎回、前年沈めたお酒の引き上げ&今年のお酒の貯蔵、が1セットになっているのです。

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海中に沈めたロープをワイヤ-で引き上げます。
これは本来は牡蠣がつり下げられているロープのようですが、そこにお酒を一緒に沈め、気仙沼のおだやかな海でゆらゆらと揺られるよう、1年間寝かしつけるのだそうです。

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ロープにびっしりとついているのはムール貝。
さっき昼食で出てたやつもこれなんだそうです。
ただし、この中でも容姿端麗で食べ頃の、選ばれし「ムール姫」しか食事には出していないとのこと。

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少しずつロープを引き上げると、出てきました。去年沈めたお酒が。

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1年間、海の中で過ごしてきただけあって、海草やら藻やらにまみれて外見はすごい状態で戻ってきました。
それだけ中味の熟成度も期待できるのでしょう、きっと。
が、僕は今回初参加なので、この中に僕のお酒は入っていないのです。

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貯蔵前と貯蔵後のBefore Afterを対比するとこんな感じです。

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そしていよいよ、今年分の貯蔵が始まります。
さよなら~僕の心麗しきメッセージ付きお酒。おいしくなって来年かえって来いよ~

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んんん、待てよ。
ということは来年もこのツアーに来るってことか?
来年も来るってことは再来年も来るってことか?
ということは、半永久的に気仙沼に来続けるってことか?

いよいよもって、これは本気で酒と貝と女を克服しなくてはならないようです。。。


引き上げと貯蔵が終わり、船が港へ戻るかというとき、はるかと美玲が何やらみんなに配りはじめました。
それを合図に置物のように牡蠣棚に並んでいたカモメが恐ろしい勢いで船めがけて襲い掛かってきます。

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彼女たちが配っていたのはこれでした。
わかりますか?空中を飛んでいるかっぱえびせん。

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そういえば京都丹後の伊根の舟屋で遊覧船に乗った時もこんなふうにしてカモメの餌を買って撒いた覚えがありました。
気仙沼のカモメのほうがやや凶暴な感じはしましたが。


さて、船を降りると次なる試練が。
それは、牡蠣むき体験&試食。

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つなかんのいちよさんから説明を受けて、こんなふうに殻のままの牡蠣を自分で剥いて食べるのです。

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一口カツと間違えて牡蠣フライを口に含んでしまったこと以外、牡蠣なんか食べたことなかった僕は、もちろん牡蠣も女も剥いたことなんかありゃしません。
・・・が、ここで逃げたら克服の旅に来た意味がありませんので、頑張ってやさしく牡蠣を丸裸にして、しゃぶしゃぶふうにちょっとお湯に通して食べてみました。

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(ビビってちょっとお湯に浸しすぎてしまった僕の牡蠣)

うーん、海の味がするけど、意外と食べられる!


牡蠣、初めて食べました!
うれしくなっていちよさんにそう報告すると、
あなた、人生の楽しみ半分損してたわよ、これからどんどん食べて人生の楽しみを早く取り戻しなさい、とのことでした。


貝(牡蠣)を見事クリアして、次なるステージはその夜に行われたお酒の試飲会。
ここで1年間海中に貯蔵してあったお酒や、男山本店で作っているお酒をこれでもかー、というくらい飲み比べるのです。
会場は、このツアーの宿泊ホテルであり、前回もお世話になった「気仙沼プラザホテル」のすぐ近くにあるK-Portというお店で。

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ここは、あのハリウッド俳優の渡辺謙さんのお店なんです。

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震災直後から気仙沼でさまざまな活動を行ってきて、いまでは「趣味・気仙沼」とまで言い切る謙さん。
気仙沼にできたたくさんの友達に「今何が欲しい?」と聞いたところ「人が集まれる場所が欲しい」という答えだったことから自分で作ったお店がここなのだそうです。

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会場には謙さんから、メールでメッセージが届いていました。



さて、試飲会ですが、左側が海中貯蔵したお酒で、右側はまだ作りたての同じお酒。
違うのは海に沈んでいてふやけてしまったラベルだけではないんです。

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作りたての新酒は、まだ若くてピリリと尖がった味なのですが、1年間海で寝かせると、ほどよく丸みを帯びた芳醇な味となります。
同じ1年間でも、常温で寝かせるとダレ過ぎて甘ったるくなるし、冷蔵庫で保存すると若さが抜けずに尖ったままなのですが、海の中で寝かせると絶妙な味になるのだそうです。
お酒が苦手な僕でもその味の違いははっきりとわかったくらいです。


しかもそのあとがスゴイんです。
この蒼天伝シリーズがずらりと並べられ、みんなガンガン飲み比べするのです。

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はるかと美玲に両脇から固められ、僕のグラスに次々とお酒が注がれます。
おいしいし、思ったよりずっと飲みやすかったので、最初は味の違いもちゃんと分かっていたのですが、だんだんわけ分からなくなってきました。

5種類全部飲むまで帰さないわよ、とはるか。
お酒克服できたら、倒れても私たちがちゃんと面倒見てあげるから、と美玲。

あー、こうやって俺は今日、お酒も女も一挙に克服するのか。

薄れゆく意識の中でそんなことが頭をよぎりましたが、気がつくとマンボという怪しげな喫茶店に連れ込まれていたのでした。

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さあ、ここでラーメン食べて酔いを醒ますわよ、とはるか。
〆はマロンパフェ。絶品よ、と美玲。


こうして気仙沼の夜は更けてゆくのでした。



<2015年11月14日(土)訪問>




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ただいま、気仙沼!男山本店&つなかん【気仙沼 酒と貝と女克服たび】

 2015-12-28
ルバーウィークの北海道旅の帰りに、ひょんなことから気仙沼に立ち寄った際、酒と貝と女がまったく苦手だった僕は「そんなことでは人生の楽しみの半分を失っている、お前はもう、半分死んでいる!」と北斗の拳のケンシロウに成敗されたかのごとく脅され、その克服のために気仙沼に再訪するよう、すでに運命を決められてしまっていたのでした。
⇒参考 : 酒と肴と竜宮女にチャレンジ


そんなわけで11月中旬の土曜日、僕は「酒と貝と女(男)」が大いに得意だろうと思われる人々に交じって、東北新幹線の団体席の端っこに、肩身の狭い思いで腰かけたのでした。

3列シートの真ん中に座らされた僕の両隣には、どうらや友達同士と思われる女性二人が。
友達同士なら並んで座ればいいじゃん。なんで「酒と貝と女」が苦手な俺を挟むんだ!
まてよ。。。そうか、この女たちも「酒と貝と男」が大いに得意なのかもしれん。もしかして俺はまんまとその餌食になるのか?

はじめまして、私、綾瀬はるかです、と右側。
はじめまして、私、桐谷美玲です、と左側。

なるほどなるほど、自分で言うだけあってなかなか似て。。。ねーよ!



前置きが長くなりましたが、こうして、とりあえず、なんとか気仙沼に到着したのでした。

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一ノ関駅で、こんな横断幕に迎えられた一行、25名くらいは貸切バスに乗って内陸から沿岸部の気仙沼へと向かいます。
「おかえり」とか書いてなくってよかった。
「ただいまー」とか言っちゃいそうだったから。。。



さて、バスの中ではさっそく自己紹介。

綾瀬はるか(以下、はるか)と桐谷美玲(以下、美玲)の前に座らされた僕は、とりあえず何か話しさない、とマイクを渡されたので、まあ著名な旅行ライターかつカリスマブロガーである、とか、お受験ママも黙り込む華麗なる学歴である、とか、ウォーレン・バフェットもびっくりの保有株式時価総額である、とか話してもよかったんですが、まあ話が終わる前に気仙沼に着いてしまいそうだったのでそれはやめておいて、実は気仙沼にはつい2か月前に来たばっかりなんですけどねー、的なちょい自慢話ですませておいたのですが、これがまた全然自慢にもならないのです。

気仙沼は2週間ぶりです、とか私は今年6回目です、とか、どーなってんだ、この参加者たち!!
どうやらこれは「気仙沼好き好き大好きファンクラブ」の人々の集まりだ、ということにようやくここで気づいたのでした。

なので、このツアーに毎年参加しているメンバーも多く、参加者同士がすでにみんなフレンドリーな感じなわけですよ。

しかし結果的には、はるかと美玲のおかげで、僕はこの「チーム気仙沼」みたいな濃ゆい軍団の中でも孤立することなく楽しく過ごせたのでした。

 注)もちろん参加者の中に初めての方もいましたが、みんなちゃんと仲良くなっていましたのでご安心を・・・



そういえばさっきから「このツアー、このツアー」と言ってましたがどのツアーかというと、こんなツアーなんです。

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簡単に説明すると、その年のしぼりたての地酒「蒼天伝」を気仙沼の海に沈め、1年間海中で「貯蔵」、翌年再び訪れ、その引き揚げをするという「海中貯蔵の旅」なんです。
2か月前に僕と気仙沼をつなげてくれた気仙沼復興アドバイザーと現地の皆様が作り、日本旅行業協会が主催する「ツアーグランプリ2014」で観光庁長官賞の栄誉に輝いたすごいツアーなんですよ。


そんなわけで、気仙沼に到着していきなり訪れたのが、気仙沼を代表する酒蔵、男山本店。

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1932年に建てられた国の登録有形文化財にもなっていた木造三階建ての本社と店舗、倉庫などは気仙沼湾沿いにあったため津波で全壊・流失してしまったのですが、この酒蔵は少し小高い場所にあったので寸前のところで津波を逃れ、主力銘柄である「蒼天伝」が発酵途中の醪(もろみ)の状態で無事に残っていたのだそうです。

けれども町中から電気もガスも水道も消えた中、電気(発電機)や水(氷)を大量に使う酒造りなんかしている場合じゃない、とあきらめかけていたところ「今回の津波で残った数少ない地元の産品を絶やすな」という地元の人々の協力もあり、酒蔵に2人の社員を残して発酵を見守り、とうとう新酒を作り上げたのだそうです。

それ以来、この男山本店で作るお酒は「会社のためのお酒」ではなく「気仙沼のためのお酒」になったのだそうです。。。
いい話だなあー

そんなわけでこの男山本店の社長、菅原さんは気仙沼の復興にも率先して力を尽くし、こうした復興ツアーのお客さんの案内も快く引き受けてくれているそうです。

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これが酒母、だったっけな?お酒と貝とオンナゴコロは詳しくないので間違ってたらスミマセン(しつこい)。
ちょっとしたカップに入ったプリンみたいに見えますが、このタンク、めちゃくちゃ大きいのです。
中に落ちたら、たぶんおぼれて出てこれらないレベルなので、いくら酒好きだからと言って飛び込むと命の危険があります。。。

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ひと通り男山本店のお酒の醸造法について説明を聞いたあと、一人に1本ずつお酒と願い事カードが渡されて、みんなそれぞれお酒と一緒に1年間沈めておく願い事を書くわけですな。

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僕のカード、なんて美しい願い事なんでしょう!
社長にしろーとか、給料あがれーとか、人生最後のモテ期来いーとか、おいおい、そこのキミ、そういうのは恥ずかしいぞ。
もういい大人なんだからね、望むことは世のため人のためですよ。コトラーのマーケティング3.0ですよ(ちょっと古い)。

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そんでもって美しい願い事とともにこうやって包まれて

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海の方へと運び出されていくのでした。

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こうしてみんなのお酒を海中に沈めるための準備をしている間に向かったのが、唐桑地区というところにある漁師民宿「つなかん」

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見るからに元気いっぱいの女将、いちよさんが出迎えてくれます。
もう気仙沼リピーターの人々とは実にツーカーな感じで、おかえり、とか久しぶり、とかあらまた来たの?とか言ってます。

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もともとここは牡蠣の養殖をやっていたいちよさんの自宅だったのですが、3階まで津波をかぶり、家の中さえ泥まみれだったのに、のべ1000人にも及ぶボランティアの学生に寝泊まりするスペースを貸し続けているうちに、ここで民宿をやりながら町を元気づけることを決めたのだといいます。

ここも、いい話だなあー

このいちよさん、とにかく明るくていいんですよ。
昔は。。。もとい、今も、キレイなんですが、全然お高い感じがなくて(むしろ敷居低すぎ)、僕たちが30年前に出会ってたらきっと付き合ってたでしょうね。そんでもって「女」の苦手は克服してましたね、きっと。
あー残念だ!



で、ここで最初の試練、昼食の時間です。
牡蠣料理が本職ですからね。牡蠣牡蠣貝牡蠣貝魚貝というメニューであることは見なくてもわかります。
あー、これはなんとかいけそうです。

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出た!、山盛りのムール貝&牡蠣。

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牡蠣鍋と貝ご飯もあったんだけど、写真撮る余裕なかったっす。。。


あれー、牡蠣も貝もダメなのにこんなツアー来ちゃったんですかー
と、はるかと美玲に小馬鹿にされつつお新香をぼりぼり食べながら、やっぱり貝と女の克服は難しそうだ、と思ったのでした。




<2015年11月14日(土)訪問 つづく>




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東海道テキトー完歩 鏡岩のイケメン好き女鬼とか【鈴鹿峠~水口】

 2015-12-26
 前編 : 鈴鹿鈴子と鈴鹿峠越え



鹿峠の朝、というよりバーベキュー鈴鹿峠の朝。

鈴鹿馬子唄で「峠は曇る」と唄われた鈴鹿峠も今日は雲一つない快晴。
この天気なら峠を越えても雨が降ることはないでしょう。
さあ、出発です!

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えっ?ちょっと待ってよ。
鈴子と過ごした鈴鹿峠のムフフな一夜はどうしたの?
たぶん読者の47人のうち46人はそう期待されていることでしょうから、ここで何も包み隠すことなく赤裸々に告白しようと思います。

ここの宿泊施設には、なんとお風呂が一つしかなくて、家族風呂のように「入浴中」というボードをぶら下げて交代で入る入れ替え制だったのです。
いやーまいったなあー。いきなり家族風呂で混浴ですかー
とかなんとか勝手に妄想していると、鈴子にこう強く念を押されました。

「私がお風呂に入って入る姿を、絶対に覗かないでください。絶対に絶対に覗かないでください。きっとよくないことが起こります。間違いなく不幸が起こります」

鶴の恩返しかよっ!
いや、鶴の恩返しよりはるかに怖そうだぞ・・・

そんなわけで(どんなわけだ!)鈴鹿峠の夜は、静かに、何事もなく更けていったのでした。
以上、報告おしまい。



さて、本編に戻ります。
バーベキュー鈴鹿峠から国道を少し戻って旧東海道に入り、いよいよ峠越えへ。

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鈴子の先祖、鈴鹿御前を祀ったといわれる片山神社のすぐ脇にある鈴鹿流薙刀(なぎなた)術発祥の地の石碑。
かつてこのあたりを跋扈した盗賊やら鬼やらを、鈴鹿御前がぶった切ったのもこの鈴鹿流薙刀術だったのでしょうか?
鈴子が白い道着と長い袴を着て、薙刀を振り回す姿を想像してみたのですが、確かになかなか様になっているかもしれません。

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いよいよここから「八町二十七曲り」と呼ばれる鈴鹿峠の本番!

と思ったら感覚的には10分も歩かないうちに杉木立に囲まれた平らなスペースに出てしまい、どうやらここが鈴鹿峠の頂上らしいのです。

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旧東海道の鈴鹿峠を徒歩で越えた人で、特に箱根越えを経験している人の感想を聞くと、ほぼ100%近い人が「あっけなく頂上に着いちゃった」と言っていたので、まあそんなもんだろうな、という感じです。


私の役目はここで終わりだから。
鈴鹿峠の山頂付近、旧街道から少し外れたところにある「鏡岩」の前まで来ると、鈴子はいきなりそんなことを言い始めました。
私は東海道のここから先、近江側には行けないことになっているの。

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この裏側にはかつて鏡肌岩と呼ばれ、ホンモノの鏡と変わらないほどツルツルの光沢を誇っていた大きな岩があったのだ、といいます。
そしてそこにはかつて女鬼が棲み、旅人が通るたびに絶世の美女に姿を変え、もろ肌を脱いだ姿を鏡岩に映して誘惑し、身体以外のものは身ぐるみ剥いでしまったのだ、と鈴子が説明してくれました。

「この岩をぐるっと回りこんだ先に、今でも鏡岩があって、男の旅人が通ると、妖艶な女の肌が映し出されて誘惑されるみたいよ。ただ、昔の女鬼と違うのは、普通の男は身ぐるみ剥がされて放り出されちゃうらしいんだけど、いいオトコだとモノは取られず、身体だけ襲われちゃうらしいわよ」
そして一呼吸おいて最後にこう付け加えました。
「どう?試しに行ってみない?」


おぉー、そうか。
いーじゃないか、鈴鹿峠の女鬼。
僕が通れば間違いなく襲われちゃうだろうけど、それも旅の勲章、大いに結構!

と思って鏡岩へと足を進めようとしたのですが、すぐに満足に手すりもないような崖っぷちを歩かなければならないことに気づいたのでした。

ゴメン、高所恐怖症なんでこの先歩けないわ。

そう言うと、鈴子は寂しそうに、そっか、と言って一人、鏡岩の方へと消えていきました。



戻ってきてこの伝説を調べたところ、かつての女鬼が坂上田村麻呂によって征伐され、改心して生まれ変わったのちの姿が鈴子の先祖である鈴鹿御前だったのでした。
そうなると鈴子も必然的にその女鬼の子孫であることになります。
そう、昨日の夜、お風呂に入っていたのは鬼だったのかもしれません。。。

でも鈴子、ここまでありがとう。おかげで寂しいはずの鈴鹿峠越えがめちゃくちゃ楽しかったぜ。
次にいつここに来るかはわからないけど、その時はだまされてみたいぜ。



さて、頂上付近の杉並木を近江側に抜けると、そこは一面の茶畑。

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ここが伊勢と近江の県境。鈴鹿峠の頂上。
ここから先、近江の国は僕ひとりで歩くことになります。

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鈴鹿峠は三重県側は厳しい山道なのですが、滋賀県側はゆるやかに開けた台地のようになっていて、次の宿場、土山宿に向けて長い距離をかけてゆっくりと坂を下っていく感じです。

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茶畑の脇を少し進むとあるのが「万人講常夜燈」
270年前に建てられ、この峠を照らし続けていました。
高さ5.4m、重さ38tもあるそうです。

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常夜灯を過ぎると、すぐに国道1号と合流となり、滋賀県の甲賀市に入ります。
案の定、滋賀県に入るとすぐに出てきたのが、この滋賀県発祥、飛び出し坊や。
滋賀に来た、って安心感がありますね。

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が、なんだかちょっと、いや、かなり変です。
顔の形がクレヨンしんちゃんですが、なんでこうなっちゃうんだろう?
最初はちゃんとしたしんちゃんの顔を書いてたんだけど、著作権違反とか言われて、わざと下手くそ顔にしたとか?


峠を越えても次の土山宿まではかなり距離があります。
国道1号をずっと歩き、旧東海道では(たぶん)唯一、工場の中を通るかのような場所を抜けたりします。

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坂上田村麻呂を祀った田村神社の横を通り、旧道が国道1号と交わるところにあったのが、道の駅あいの土山。
昨日関宿を出てからここまで、何か物が買えるようなところを見たのは久しぶりでした。

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この道の駅脇の旧街道から先が土山宿の宿場町となります。

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土山宿も比較的よく保存された古い町並みが旧街道に沿って長く続きます。

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途中の町なかの小さな橋に貼ってあった鈴鹿馬子唄の2番の歌詞でしょうか。
僕的にはとても好きな歌詞なのですが、昔の人たちはこうして鏡岩に映った妖艶な娘にみんなだまされちゃったんでしょうかね。
まあ、仕方ないですね。

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宿場町の中央部あたりにある旧土山本陣跡。

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このあたりは町並みもきれいですね。

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土山はお茶でも有名なところで、旧東海道沿いにも茶畑をよく見かけました。

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土山の宿場町を抜けると左側に見えてくる野洲川。
奥のほうに見える山塊が、越えてきた鈴鹿峠方面でしょうか。

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土山の次の宿場町は水口(みなくち)。
土山から水口までの区間も結構距離が長く感じます。

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いくつもの集落を抜けて、ようやく水口の町へ。
ここで旧東海道は、近江鉄道の水口石橋駅と交差するので、今回はここ水口をゴールとすることにします。
水口には旧街道沿い、宿場町の中心部あたりの大池町(おいけまち)と、この水口石橋の駅前にからくり時計がありました。

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このあと近江鉄道で貴生川に出て、草津、米原を経由して新幹線で帰ることになります。

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三重県を完歩し、西の難所である鈴鹿峠を越えたことで東海道の西の端もかなり制覇した感じですが、やっぱり3日間歩き続けるのは結構疲れますね。

そして突然現れて僕と一昼夜を共にした鈴鹿鈴子。
それは夢だったのか幻だったのか、今でも僕にはよくわかりません。



今回の結果(2日間合計):亀山宿~水口宿 34kmを制覇! 
東海道テキトー完歩まで:現在の合計 308㎞/512km



<10月12日訪問>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
名所旧跡を語るより、街道沿いの人々や風俗(変な意味ではない・・・と思う)、B級スポットなどを、ときどき妄想なんかも入れながら紹介する滑稽本(になったらいいな)。




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クリスマス エクスプレス 【東京~徳山】

 2015-12-24
からもう25年くらい前、そう、ちょうどバブルが絶頂だった5年間と時を合わせるように、JR東海のCMに「クリスマスエクスプレス」というシリーズがありました。

山下達郎さんの「クリスマス イブ」をBGMに、遠く離れた恋人が、クリスマスに新幹線に乗って会いにくる、という物語になっていて、「クリスマスは恋人同士で過ごす」という社会現象を起こした、とも言われている有名なCMです。

そのころの僕は社会人になったばかりで、東京で初めて迎えるクリスマスで、まさかそんなCMの中の物語のようなことが自分に起きるとは思ってもいなかったのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


会社に入ってすぐの新入社員研修で、僕は山口の女の子と仲良くなりました。
彼女は山口県の徳山市(今は周南市)の出身で、四国の国立大学を卒業して入社していました。
彼女は南国(彼女の出身大学にはそんなイメージがあったのです)の女の子のわりには、よく日焼けしたスマートなタイプではなく、小柄で色が白くて、いつもちょっと笑っているように見える口元をした、どちらかというと童顔の女の子でした。

彼女は、東京に出たい、東京で働きたい、とことあるごとに僕に話していました。
徳山なんか工場とコンビナートしかないのよ。だから町の空気もなんだか重いの。
夜になって工場に明かりがついた時だけはきれいだけど。

それでも結局、2週間の研修の最後に告げられた彼女の配属先は、地元徳山での勤務でした。
彼女の父親は徳山で最も大きな化学メーカーの、かなりの地位の要職にいるようだったので、その影響もあるのかもしれません。

僕たちの研修クラスで東京に配属になったのは僕を含めて3人だけだったので、僕はなんだかとてもすまない気持ちになって、ときどき遊びにおいでよ、と彼女と住所を交換したのでした。



それから時々、彼女との手紙のやり取りがはじまりました。
そう、それはまだメールもケータイもない時代だったのです。
時々、100円玉を10枚握りしめて近所の電話ボックスまで行き、長距離電話で話すことはありましたが、それでも東京と山口との間では、30分も話していると、最後の100円が落ちる音とともにブーッ、という不愛想な警告のような信号が受話器から聞こえ、お互いの仕事の話、東京での生活、山口での変化のない毎日など、まだまだ語り尽くせないまま、二人の時間は切り裂かれてしまうのでした。



「ねえ、クリスマスエクスプレスって知ってる?」
慣れない仕事で忙殺されたまま、あっという間に迎えた12月のあるとき、彼女からの手紙にそんな文面がありました。
「東海道新幹線のCMでやってるの。私、あのCM、すごく好きなんだ」

僕はそのころほとんどテレビを見る時間もなく、そのCMのことはあまりよく知りませんでしたが、それは遠く離れた恋人同士が、クリスマスの夜、新幹線に乗って再会を果たす、という内容で、深津絵里や牧瀬里穂などがそのヒロインを演じて、多くの人々の共感を得ている有名な作品なのだ、ということでした。

「私もクリスマスエクスプレスに乗って東京に行きたいの。ねえ、新幹線のホームまで迎えに来てくれる?」

だって東京で知っている人はあなたしかいないから。
彼女の手紙には続けてそう書かれていました。


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会社が終わったら、すぐに徳山駅から新幹線に飛び乗れば、東京行きの最終のひかりに間に合うと思うの。
彼女はそう言ったあと、こう付け加えました。
本当は休みをとってもっと早く行けるといいんだけど、新入社員だからそんなわけにはいかないのよ。

博多発の最後の新幹線が東京駅に着くのは夜の23時。
12月24日の夜、さすがにこの日はそんなに遅くまで仕事をすることはないだろう、と思っていました。

ところが、12月25日に本番があるイベントの制作がかなり遅れていて、本来の担当ではない僕の部署までヘルプの依頼が来たのが12月24日の夕方でした。
そして当然のように僕が真っ先に駆り出されることになりました。
そう、僕も新入社員だったので、断るわけにはいかなかったのです。
これから会場のホテルで夜を徹して設営やらリハーサルやらを続けないと間に合いそうもありません。
彼女を乗せたクリスマスエクスプレスは、もう徳山を出発してしまっています。



1時間だけ、という約束で、なんとかイベントの設営会場を抜けだした僕が、タクシーで東京駅に着いたのが24時ほんの少し前。
ホームへの階段を駆け上がる時、何組のカップルとすれ違ったことでしょうか。
新大阪からの最終の新幹線がちょうど到着し、すべてのクリスマスエクスプレスが今年の役目を終え、東京駅の新幹線ホームは、今まさに眠りに入ろうとしている時間帯でした。

もう遅いかもしれない、と思いながらホームの端まで行ったところで、明かりが消えかけた柱にもたれかかっている彼女を見つけました。
暗がりの中で、かすかに彼女の唇がバカ、というのが見えましたが、その特徴的な唇のせいか、それは怒っているというより、拗ねた子供のように見えました。

遅れてゴメン、と僕は言いました。
でも、もう一つゴメンを言わなければならないんだ。

僕が2つ目のゴメンを言ったとき、バカ、と動いた彼女の唇は、もうけっして笑っているようには見えませんでした。



翌日、本番の1時間前にリハーサルが終了し、ようやくお役御免となった僕が彼女の宿泊しているホテルに行ってみると、すでに彼女はチェックアウトを終えた後でした。

それ以来、彼女からの手紙が来ることはなくなってしまいました。
僕もなんだかコンタクトをとるのが気まずくて、何度か100円玉を握りしめて公衆電話に向かったのですが、結局彼女の家のダイヤルを回すことができませんでした。

彼女がその後、地元の人と結婚して会社を退職した、という話は風の噂で聞きましたが、その消息は僕にはわからず終いでした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「クリスマスエクスプレスに乗って、夜景を見に来ませんか?」

それから25年後、僕が書いたブログの夜景の記事に突然そんなコメントがありました。
それは今や工場夜景ですっかり有名になった徳山で夜景ガイドをしているという女性からのメッセージでした。

なんだかんだ言って、私、こっちで結婚しちゃったから、結局まだ徳山を離れられずにいるのよ。
しかも今は夜景の観光ガイドになんかなっちゃって、あの頃あんなに嫌がってた徳山の魅力を伝えてるだなんてね、なんだか笑っちゃうけど。

でもね、と彼女は言いました。
ここの夜景は本当にきれいなの。あなたにも見てほしいのよ。

彼女はあの日、恋人たちであふれるクリスマスイブの赤坂プリンスにひとりチェックインしたものの、夜も眠ることができず、結局、六本木、渋谷と東京のイルミネーションの洪水の中を歩いたのだそうです。

でもね、どこにも私の居場所なんてなかったし、そこはすごくよそよそしい場所だったの。
翌日徳山に戻って来て、新幹線のホームから工場の夜景を見たらすごくホッとして、やっぱり私に似合うのはこの街なのかなって。

だから私が今、ここでこうして幸せに暮らせているのもあなたのおかげでもあるし、あなたのせいでもあるのよ。
だからあなたへのお礼とあなたからのお詫びを兼ねて、クリスマスエクスプレスに乗って来てほしいの。


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新入社員だったあの頃と違って、多少は自分の時間を自由にできるようになった僕は、休みを取って早く出かけることもできたのですが、やはりここはクリスマスエクスプレスの筋書きに従って、会社が終わってからスーツのまま新幹線に飛び乗ることにしました。
博多行きの最終ののぞみ(そういえば、あの頃はひかりしか走っていませんでした)に乗っても、徳山には日が変わる前には着くはずです。

そう話すと彼女は、そんな遅い時間に真面目な主婦が家を出られるかなんてわからないわよ、と言って笑いました。
もし私がいなくってもあの時のバツだと思ってひとりで徳山の街を歩いていてね。



12月24日、午後23時12分。
最終ののぞみが徳山駅に到着します。
長いホームに人影はありません。
新幹線の高架ホームのガラス窓の向こうには、本当に、まばゆいばかりに工場とコンビナートの灯りが広がっています。
まあ、それも仕方ないのかな、と思いながら、僕はしばらくの間、そんな光の海原をぼんやりと眺めるしかありません。

バーカ、という小さな声に振り返ってみると、あの頃とおなじように童顔で、ちょっと笑っているように見える唇を尖らせている彼女の姿が見えたかと思うと、すぐにそれが僕の中に飛び込んで来ました。

あなたももう新入社員じゃないんだから、今度はすぐに帰るだなんて言わないよね。
私もこう見えて、それなりにいい大人になったおかげで、少しだけ自分で自分の時間を使えるようになったのよ。
ずっと忙しくしてた頃は、もう自分にはクリスマスなんて関係ない、って思ってたけど、そんなの寂しいじゃない?

そして彼女は少し顔を離してこう言いました。

あの年のクリスマスエクスプレスのCMのキャッチコピー、覚えてる?

『会えなかった時間を、今夜取り戻したいのです。』だよ。



<おわり>




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鈴鹿鈴子と鈴鹿峠越え【東海道テキトー完歩 関~鈴鹿峠】

 2015-12-22
 
 前編 : 世界の亀山工場とか、煩悩ホテルとか


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はこの関駅で、今日の鈴鹿峠の案内人として、鈴鹿鈴子が僕を待っていたのです。

「鈴鹿鈴子」は自称、古くから鈴鹿峠の女番人として君臨した「鈴鹿御前」の子孫だ、とのこと。

「鈴鹿御前」とは、平安時代から盗賊が横行し、鬼の棲家として伝えられたこの三重・滋賀県境の鈴鹿山にすむ武勇と美貌に秀でた女人で、鬼退治に来た坂上田村麻呂らとともにこの鈴鹿峠の治安を守ったとされている人物。


「私抜きで鈴鹿峠を一人で越えるのはリスク高いわよ。鈴鹿峠でバーベキュー食べさせてくださいな。そうすればお供しますよ」
彼女はそう言って、僕のお供となることを申し出たのでした。

桃太郎かよっ!


そんなわけで(どんなわけだ!)ともかく僕は鈴子と関駅で待ち合わせ、いざ、鈴鹿峠越えにチャレンジしたのでした。


まずは再び関の宿場町に戻り、旧東海道を西へと進みます。
百五銀行から少し西側にあるのが、百六里庭(ひゃくろくりてい)。
江戸からちょうど百六里あるのでそう名付けられた小公園です。
(百五だの百六だの紛らわしい。。。)

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この百六里庭に隣接した建物「眺関亭(ちょうかんてい)」かの2階らの眺望が素晴らしいのです。

こっちが亀山側(江戸方面)。

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こっちが鈴鹿峠側(京都方面)。
鈴鹿峠の青黒い山塊がいよいよ目の前にデーンと出てきましたね。
負けねーぞ、鈴鹿峠!!

僕の気合を感じたのか、
すごく大きく見えるけど、そんなに高い山じゃないわ、
と鈴子が隣りでつぶやきます。
私がいるから大丈夫。

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あれっ?
突然鈴子が声をあげます。
なんか気になる人影がある!

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旅人のフリをした盗賊かもしれない。

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おいおいおいおい、そー来るか鈴子。江戸の衣装を着た普通の旅人にしか見えねーぞ。
しかもおねーちゃんはなかなかきれいめだぞ、横のおにーちゃんはちょっとなんちゃってっぽいけど。

そんな僕の言葉はまったく届かなかったようで、鈴子は慌てて2階から駆け降りて、2人のあとを尾行し始めたようでしたが、ほどなくしてあっさりと戻ってくると、こう言いました。

「あれは盗賊じゃないわ、だって着物にスニーカーだもん。ニセモノだわ・・・」

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途中にあった、旅人宿、石垣屋さん。
ここのご主人のブログ、僕と同じひとり旅ブログのランキングでよく見かけます!
関宿にあったのは知ってたのですが、ここにあったんですね。
なかなか雰囲気いい感じでした。

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関は古くからの建築物を保存しているので、町中を歩いていてもタイムスリップしたよう。

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3連休だけあって、中心部には観光客もたくさんいましたが、やがてだんだん人影がなくなり、道も次第に上りとなり始めます。

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西の追分を過ぎると関宿の宿場町は終わり、いよいよ本当に鈴鹿峠が前の前に迫ってきます。

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国道1号線をしばらく歩いて、再び旧道に入ると坂下宿の集落に入ります。

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ここに鈴鹿馬子唄会館なるものがありました。
「坂は照る照る 峠は曇る あいの土山雨が降る」と唄われた鈴鹿馬子唄の発祥の地が、この鈴鹿峠の麓の坂下宿なのだそうです。

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鈴鹿馬子唄ってのはこの地の地形と気候の関係をうまく表現した唄らしく、

「坂は照る照る」 : 伊勢の関宿側から坂を上っているときは燦々と陽がさしているのに
「峠は曇る」 : 鈴鹿峠にかかるとにわかに曇りだして
「あいの土山雨が降る」 : 近江側の土山宿に抜けるといつの間にか雨が降っている

というような感じなんだと思います。
現代風に言うと、東海道新幹線で岐阜あたりから関ヶ原を抜けて米原に抜けるときのような感じなんでしょう。


馬子唄会館に隣接して、廃校になった坂下小学校の校舎を利用した「鈴鹿峠自然の家」がありました。
ここもきっといい校舎だったんでしょうね。

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こんな山の中には不釣り合いなほど道幅も広く、立派な坂下宿の旧街道を通り抜けると、いよいよ鈴鹿峠は目前です。

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旧道が国道に合流するあたりに古い祠のようなものがあったので、門の扉を開けて入ってみます。

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ここは岩家十一面観世音菩薩というらしく、横に細い滝が流れていましたが、鈴子は何かを感じるらしく、中まで入ってこないので、僕も深入りはやめておきました。

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この先、旧東海道のルートをたどる地図をみると、間の前にある国道ではなく、山の中の道なき道を指し示しています。
どうやら現在は東海自然歩道の一部になっている、この山道のことのようです。

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うへー。
結構厳しい上りですね。

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こんな道、大名行列が通るのは到底無理だろう、と思いますが、鈴子が迷いもなくズンズンと奥に進んでいくので、彼女を追いかけるように僕もそれにしたがって歩きます。

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山道を結構歩いたつもりでしたが、無駄にアップダウンがあったせいか意外に距離はかせげていなくて、再び国道に合流した場所は直線距離にすると500メートルくらいしか進んでいないような感じでした。
おまけに丈の短い靴下を履いていたせいで、肌が露出していた部分を途中で山蛭に食われたらしく、宿について気づくまでに結構血を吸われてました。。。

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そして到着したのが、このバーベキュー鈴鹿峠。

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鈴鹿峠で泊まれる場所は、ここしかないのよ。
さあ、バーベキューごちそうしてくださいな。

鈴子はそう言ってまたズンズンとお店の中に入っていったのでした。




<10月11日訪問/つづく>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
名所旧跡を語るより、街道沿いの人々や風俗(変な意味ではない・・・と思う)、B級スポットなどを、ときどき妄想なんかも入れながら紹介する滑稽本(になったらいいな)。





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世界の亀山工場とか煩悩ホテルとか【東海道テキトー完歩 亀山~関】

 2015-12-20
、東海道テキトー完歩とは関係なく、この亀山で、どーしてもしておきたいことがあったのでした。


それは、これ。

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シャープの亀山工場に行って、株主として、最近の体たらくに喝!を入れてやらなければならない、と思っていたのでした。



そんなわけで泊まったのが、シャープ亀山工場にほど近い、カンデオホテル。

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ビジネスホテルですが、機能的で洗練されていて、最近人気のホテルチェーンなのです。
亀山には町の規模におおよそ似合わないくらいにビジネスホテルが多いのですが、それはすべてこのシャープの亀山工場があったから。

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亀山工場といえば、シャープの液晶テレビが全盛期だった頃は「世界の亀山モデル」と称して、まさに世界一のブランドを生みだす大工場だったので、訪れる人が絶えなかったのでしょう。

それが今は。。。
ニュースなどで報道の通りの状態です。
そんなわけで、株主としてひとこと喝を入れたろう、ということでわざわざ早起きして行ってみましたよ、亀山工場に。


シャープの亀山工場があるのは「亀山・関テクノヒルズ工業団地」と呼ばれるところ。
その名の通り小高い丘陵地の上にあり、ホテルの前から坂道が続いています。
歩くこと20分ちょっとで、巨大な「SHARP」の赤いロゴが見えてきます。

が、それより驚いたのは、こんな田舎の山の上の人通りの多さ。

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最初は、朝の散歩サークルか何かが、徒党を成して歩いているのかと思ったのですが、どうやらそうではなさそうです。
みんなきっとシャープの工場に行く従業員なんですね。


さすがに立派ですよ、(元)世界の亀山工場だけあって。
工場の敷地の周りを一周歩くだけで30分くらいかかる感じです。

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そんなわけで一言!

たのみますよー、シャープさん、株上がれーーーーーーーー!、
ついでに東芝も。。。

(って全然喝になってませんが、とりあえず懇願してきました。。。)



世界の亀山工場をめぐる朝の散歩が終わってホテルに戻ってみると、国道を挟んだ目の前に異様な建物が。

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昨日はもう暗くなっていてよく見ていなかったのですが、壮大な竜宮城っぽい、いわゆるラブホですね。

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しかも、こんなプランがあるらしいのです。

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新ビジネスプラン 4,500円、領収書発行可!
世界の亀山工場に来て、ここに泊まっちゃうビジネスマンもいるのでしょうか?

いやー、こっちに泊まればよかったかな、と一瞬思いました。
広いベッドで、ひとり悶々とするのも、煩悩を追い払う修行としては悪くないのではないでしょうか。


さて、本編のテキトー完歩に戻ります。
昨日は疲れ果てて景観を楽しむ余裕がなかったので、今日はじっくりと大岡寺畷を歩きます。
鈴鹿川の向こうに山々が行く手を阻んでいます。
方向的に鈴鹿峠はもう少し右手のほうになるかと思いますが、いずれにせよ、これからこんな感じの山を越えていくわけです。

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大岡寺畷が終わり、JRの関西本線と国道1号を横切ると、いよいよ関宿の入口となります。

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関の宿場町は、東海道の五十三の宿場町の中でも、もっとも昔の姿を残している、と言われている美しい町並みで有名。
旧街道に入ってすぐにある東の追分を過ぎると、もうこんな町並みが。

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いやー、素晴らしいですね。
関に来るのは2回目ですが、こうしてはるばる旧東海道を歩いてやってくると、列車で気軽にちょいとやってくるのとは全く違った感慨があります。

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関の旧宿場町のほぼ中央部にある、百五銀行。
もちろん現役の銀行店舗ですが、関の街並み保存の象徴的な建物として有名です。

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関の宿場町が続く旧東海道は現在の国道1号やJR関西本線よりも南の高台にあるのですが、百五銀行の交差点を南に向かって下るとJRの関駅が現れます。

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実はここで今日の鈴鹿峠の案内人として、鈴鹿鈴子が僕を待っているのです。



<10月11日(土)訪問/つづく>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
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東海道テキトー完歩 庄野真代とか、亀山つとむとか【石薬師~亀山宿】

 2015-12-18
 
  前編 : 采女、杖衝坂、佐佐木信綱先生【四日市~石薬師】


海道五十三次の宿場町の名前にもなっていて、安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれている石薬師寺は、高台にある石薬師の町から伊勢平野の谷底に向かう坂の途中にありました。
参勤交代で石薬師の横を通る大名は、必ず自ら本堂に参り、道中の無事安全祈願のために浄財を寄進したのだそうです。

これは頂上側(四日市側)からの入口。

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ここは奈良時代の僧、泰澄が開いた寺で、本尊は弘法大師が自ら刻んだとされる薬師如来像ですが、これは秘仏になっていて普段は見ることができません。
毎年十二月二十日のおすす取りの際に、開扉が行われるようです。

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百度石の上に立つお地蔵さんの表情が、なんとも深くて印象的でした。

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旧東海道、石薬師寺横の坂を伊勢平野に向けて下ります。
なかなか風情がありますね。

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東海道の石薬師の次の宿場は庄野宿なのですが、この2つの宿場間は3.3キロと短いのです(東海道の宿場間の平均距離は10キロくらいだと思います)。
坂を下ったところにある石薬師の一里塚を出て、だだっ広い国道1号に合流すると、やがて庄野宿の入り口にたどり着きます。

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庄野宿の数少ない見どころは、この庄野宿資料館。
割とよくあるパターンなのはわかっていたのですが、ずっと歩き通しで疲れたので、途中休憩のつもりでぶらっと入ってみたら、誰もお客さんがいない館内に、やっぱりいました、話好きなボランティアの学芸員さん。

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こういう方々、金銭的な対価はほとんど得てないのに本当に一生懸命に説明してくれるので(逆に言うと、好きだからやっているんでしょうね)、ついついその説明にお付き合いして、結局、館内の説明をフルコースで聞いてしまったりするのです。
やさしいなあ、俺!

うーん、ちょっと座りたいなあ、と思っていても、そんなことをおくびにも出せないので
「石薬師と庄野の宿場間は、なんでこんなに短いんですか?」
みたいな質問をしちゃう僕。
学芸員のお母さん、張り切ってそれだけで5分くらい説明してくれます。

30分くらい、庄野宿のお母さん(「庄野真代」という名前ではない・・・古っ!)に専属ガイドをしてもらって、ありがとうございました、と出発しようとすると
「お昼は食べましたか?」という質問。
いやいやいやいやお母さん、お昼までいただいちゃ申し訳ないっすよ、と言おうとしたら、
「この先、食事するところないわよ」とのこと。

そういえば、そんな感じがしたんです。
昼時だったので、石薬師を出た時から、どこかテキトーな食事場所があれば、と探しながら歩いてきたのですが、それらしき感じのところがなかなかなかったのです。

「この先に旧道が国道1号と交差するところにコンビニMがあるから、そこで買って食べなさい。そうしないと、この10キロ近く先の亀山に入るまでないわよ」

はい、ありがとうございますお母さん。
今日1番の大事な情報でした。。。



秋のお祭りなのでしょうか、庄野宿の街道沿いにはいたるところにお祭りの提灯が飾られていました。

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お母さんの言いつけどおり、コンビニでおにぎりとかパンを買って、駐車場の脇で食べていると、リュックをしょったカップルや単独♂が僕と同じように休憩しています。
みんな東海道を歩いていて、あのお母さんに教えてもらったのかもしれませんね。

このあたりは鈴鹿市の北側になります。道路標示版にも、今日の目的地亀山と県境を越えた大津という文字が見えてきました。

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コンビニを出て、旧道を歩きます。
お母さんの言ったとおり、街道沿いに一般の住居はずっと続きますが、レストランやお店らしきものはありません。


安楽川を渡る手前の川俣神社でやっていたお祭り。

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のどかですね。
赤ちゃんを連れたお母さんや、小学生の子どもたち(ゲームやってるかもしれませんが)の姿が見える場所で、こういうお祭りをやってるっていいですね。ずっと残してほしいです。

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さて、旧東海道はJR関西本線の井田川駅の前を通過しますが、ここに再びヤマトタケルが。

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どうやらここから徒歩30分ほどの能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)が宮内庁によりヤマトタケルの墓とされているようです。杖衝坂ですでに相当衰弱していたヤマトタケルは、とうとう力尽きてこのあたりで亡くなってしまったのだと言われています。


井田川を過ぎ、旧道は亀山に向けて再び緩やかな坂を上ります。
高台の街道に沿って古い街並みが続く亀山宿では、家々の軒先に昔の屋号が貼りだしてあってなかなかユニーク。
時々、1軒の家に2軒分の屋号が貼ってあるのを見たのですが、昔は家々の間口が相当狭かった、ってことなのでしょうか?

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街道沿いにこんな有名ブランドの工場がありました。
亀山と言えば、シャープの「世界の亀山モデル」、元タイガースの「亀山つとむ」、そしてこの「カメヤマローソク」ですからね。
(※タイガースの亀山は亀山市とは何の関係もないようです・・・)

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亀山の宿場町はかなり長く続いていて、いったん市内の大通り商店街に出るのですが、そのあと再び旧宿場町らしい雰囲気が残る旧道に戻ります。

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亀山の宿場町、ずーっとずーっと続きます。

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さすがに前夜12時に帰って2時に寝て、4時に起きて6時の新幹線に飛び乗って、9時半から歩き始めて7時間、そろそろ疲れてきました。


ようやく亀山の宿場町が終わると、鈴鹿川沿いのまっすぐな道に出ます。
ここが大岡寺畷(だいこうじなわて)と言われ、約2キロに及ぶ東海道一の長縄手(まっすぐな長い道)であったところ。

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もう疲れ果てていたので、まっすぐだろうと曲がっていようと早くホテルに着いてくれーと思っていたら、ようやく今日の宿泊ホテルが見えてきました。

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国道1号線沿いにあるとはいえ、亀山の街なかでもない場所に、なぜこんな近代的なビジネスホテルが建っているのか、
それはまた次回の朝編で紹介しましょう。

この日はとにかくもう疲れた。。。



今回の結果日永追分付近~亀山宿 19.kmを制覇! 
実際の歩行距離ははかり損ねたのですが、4万歩近く歩いてました!
東海道テキトー完歩まで:現在の合計 274㎞/512km (半分越えました!)


<10月10日訪問>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
 とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
名所旧跡を語るより、街道沿いの人々や風俗(変な意味ではない・・・と思う)、B級スポットなどを、ときどき妄想なんかも入れながら紹介する滑稽本(になったらいいな)。





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采女、杖衝坂、佐佐木信綱先生【東海道テキトー完歩 四日市~石薬師宿】 

 2015-12-16
休みに九州、9月のシルバーウイークに北海道、とそれなりに長い旅が続いていたので、年内はもうしばらくおとなしくしてようかなあ、と思っていたのですが、北海道から帰ってきたあたりから体調がイマイチ、って感じだったのです。

夏の終わりはいつもなんとなく疲れが出てイマイチな感じになりやすので、例年はちょうどそのタイミングで北海道に出かけて、完全復活して帰ってくる、というパターンなのですが、今年は夏休みの旅行が終わってすぐ、要はイマイチになる前に出かけてしまったので、北海道から戻ってからイマイチ君がやってきたのかもしれません。

そんなわけで、これまたどこかに出かけないと体に良くない、案ずるより産むがやすし、ってことでこれまたすぐにやってきた10月の3連休に体調リカバリーの旅に出かけることにしたのです。


3日間、秋のベストシーズン、今からでも宿がとれるところ。。。と考えて、東海道テキトー完歩の鈴鹿峠越えにチャレンジしてみることにしました。
鈴鹿峠は箱根越えに比べればずっと楽ではありますが、伊勢と近江の国境を越える東海道の難所でもありますし、峠越えの前後は何もない区間が長く続くので、暑くもなく寒くもなく、かつ万一多少迷っても大丈夫そうな今の季節がベストだったのです。



出発の前日の夜、なんとなく遅くまで仕事をしていてそのまま飲みに行ってしまったので、夜中の12時に帰宅して2時に寝て、4時に起きて6時の始発の東海道新幹線に飛び乗る、という慌ただしさ。どこが体調リカバリーの旅なんだ!って感じですね。。。


さて、前々回のテキト-完歩(今年のGW)の時に、三重県内は四日市の先まで歩いていたので、今回はその続きから。
覚えてますか?この小さな電車。

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四日市あすなろう鉄道ですよね。  参考: 前回ブログ 四日市あすなろう鉄道 編

ちなみにこの小坊主は「こにゅうどうくん」でしたよね。四日市が誇るゆるキャラです。

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四日市あすなろう鉄道は、ナローゲージと呼ばれる細い線路が特徴で、車輌もそれに合わせてめちゃくちゃ細い(狭い)のです。

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前回は四日市市内から、旧東海道に沿ってこの四日市あすなろう鉄道の終点、内部(うつべ)駅まで歩いていたので、今回はこの電車で内部まで行って、そこから旧東海道に入ります。

内部駅を出て内部川を渡り、国道1号線を横切って、ごみごみとした住宅地の中の旧道をしばらく進むと、やがて目の前にあった山が迫ってきて、東海道の難所の一つであった杖衝坂(つえつきざか)が現れます。

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今、こうしてみると確かに急な坂がしばらく続く場所ではありますが、まあどーってことないのです。
しかしここにはいろいろな故事があるようで、なんと三重県の名前の由来はここにあるんだとか(知らなかった&わりとびっくり)

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なんでも、ヤマトタケルが東征の帰りに伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登り(「杖衝坂」の名前の由来)、

『吾足如三重勾而甚疲』 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)

訳すと「私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた」 と言ったのが「三重」の名前の由来なのだそうです。
ホントかなー
そんな弱音が都道府県名になっちゃってていいのか?三重県?

でもちゃんと日本武尊の碑もあるんですよね。
ここは血塚社と言って、日本武尊が出血した足を洗い流したところと伝えられています。

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ま、芭蕉もここで落馬して一句詠んだみたいだし、昔はもっと激しい坂道だったのでしょう。


僕的にはそれより興味があったのはこの看板。

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「采女」というのは、古代、朝廷に仕えて主に天皇の食膳の奉仕をした女官のこと。その多くは地方豪族の娘で、朝廷への服従の証拠として地方豪族が自分の娘を采女として、差し出していたからのようです。
食膳の奉仕とはいえ、天皇の側に差し出されるくらいなので、容姿端麗かつ才媛だったと言われています。
結果、食膳の奉仕だけでなく、食後の奉仕まで・・・(以下ムフフ)ということも多かったのではないかと推察(妄想)されます。

采女というのはこのあたりの地名なんですが、「このあたりから多くの采女が輩出されたという史実も多く、古代の三重県は美女の多い土地柄であったと言えるかもしれません」的なことが三重県史にも書いてありますが、ホントかなー
かなりテキトーで僕並みの妄想っぽいことを、いけしゃーしゃーと県史で言っちゃっていいのか、三重県?


そんなわけで、こんなのも見つけました、コーヒー采女。

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店員はもちろん采女装束の、まばゆいばかりに秀麗な若い女性ばかりで、店に入ると「お帰りあそばせ、大君」みたいなこと言ってくれるのかなあ。
コーヒーもわざわざテーブルまで持ってきて、横に座ってドリップしてくれたりして。

まあ、そんな感じで、一種の古代朝廷版メイドカフェみたいなものなのかな、と妄想していたら、外見はよくある普通の喫茶店でした。中身はわかりませんが。


さて、采女のあたりからしばらく国道1号を歩き、四日市市から鈴鹿市に入るとやがて石薬師宿へと入ります。

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石薬師は、明治から昭和にかけての歌人であり国文学者であった佐佐木信綱さんの故郷なのだそうです。
佐佐木信綱という名前、僕も以前どこかで聞いたことあったので、信長の野望に出てくる武将かなーと思っていたのですが、大きな勘違いでした。
スミマセン、昔、大学時代の研究室に佐佐木信綱先生の本、たくさんあったの忘れてました。。。(国語国文学専攻だったので)

そんなわけで石薬師の宿場沿いの通りは信綱かるた道と言って、家々の軒先に信綱作品がこうして飾られています。

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石薬師宿の本陣であった小沢本陣跡

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小沢本陣を過ぎてしばらく行くと信綱の生家があり、その横に佐佐木信綱資料館がありました。
僕は大学時代、それはそれはたくさんの信綱先生の本に囲まれて過ごしていたので、今回はパス。読んだことはなかったかもしれませんが。

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その隣りにある石薬師文庫。
これも信綱先生が寄付した建物で、今は地域の小さな図書館として利用されているようです。

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石薬師は今は合併して鈴鹿市の一部になっていますが、もともとは石薬師町として独立していた町でした。それにしてはとても静かな場所で、おそらく旧東海道の僕が歩いたところが町の中心部だと思うのですが、商店街とか繁華街が全然ないので、町民みんなが佐佐木信綱先生のように思える、とても文化的な感じがしました。

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この先が、宿場の名前の由来となった石薬師寺となります。


<10月10日訪問/つづく>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
 とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
名所旧跡を語るより、街道沿いの人々や風俗(変な意味ではない・・・と思う)、B級スポットなどを、ときどき妄想なんかも入れながら紹介する滑稽本(になったらいいな)。





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たびねすに新着記事掲載!ここは日本のイースター島?【サンメッセ日南】

 2015-12-14
門家が教える旅先ガイド「たびねす」に新着記事掲載しました!



  入口⇒  ここは日本のイースター島? サンメッセ日南


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ぜひ読んでみてください!



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みやぎの明治村、とめかとよまか【登米市登米】2015北海道‐18 

 2015-12-11
津川から再びBRTに乗って列車との接続駅柳津へ。
気仙沼線はここ柳津から前谷地までの区間は以前のまま列車で運行しています。


日本三大虚空蔵尊とも言われる「柳津虚空蔵尊(宝性院)」が名所のようで、駅名標にも大きく写真が貼られています。

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会津にも柳津という場所(会津柳津)があって、そこにも有名な虚空藏菩薩(圓藏寺)があって、そしてそっちも日本三大虚空蔵尊をうたっていたような気がしますが、何か関係があるのでしょうか?
ちなみに日本三大虚空蔵尊は自称、他称含め、相当あるようです(その中でも会津のものは結構よく名前を聞きます)


さて、当然ここから列車に乗って仙台方面に向かい、あとはゆっくりと各駅停車を乗り継いで帰ろうと思っていたのですが、柳津駅前のBRTのバス停の横になにやら別のバス停が。

『登米市市民バス』

登米市?・・・・・まてよ、あの登米か!?

ビビッと来たのは、宮城の登米というところに明治のクールな木造小学校跡があって、全国の美しい小学校マニアの僕としては、あー、いつか行ってみたいなあ、と思っていたからなのです。

バスの時刻を調べてみると、明治の小学校の前を通るバスは休日は1日2本しかないようですが、なんとそのうちの1本が、今まさにこれからやってこようとしているじゃないですか!

これは乗れ!ってことでしょう。

というわけで、いつもの通り、予定変更です。



柳津駅から登米の町の中心部にある総合支所までなんとバスで10分ちょっと。
近いですね。これは本当にラッキーでした!

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歴史のある町だけあって立派な庁舎ですが、ここはもともと登米町(とよままち)の役場。
現在は周辺の市町村と合併して登米市になっていますが、読み方は「とめし」
ということで、現在この住所は登米市登米町。読み方は「とめ市とよま町」。

うーん不思議。

ここ、もともとは「トヨマ」という地名だったのですが、明治初めの郡区町村編制のときに簡易な読み方として「とめ」が採用されて、郡名が「とめ」、町名はそのまま「とよま」だったのに由来して、旧登米郡の町村が合併したから「とめ市」、町はそのまま「とよま町」なのだそう。


登米(どっちで読むかはおまかせします)は、古くは宮城県北部の中心として栄え、みやぎの明治村、と呼ばれるほどの歴史ある町なのです。

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その中心となるのが、この旧登米高等尋常小学校跡。

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明治21年に建てられ、昭和48年まで実際に使われていた木造校舎で、現在は「教育資料館」として公開されています。

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この木の校舎、素晴らしいですよね。
僕も小学校5年生までは木造校舎でしたから。

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でも、こんなにハイカラじゃなかったかな。
こんな白いバルコニーなんてなかったですからね。

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とうでもいいですけど、「白いバルコニー」って、「白いパラソル」と「渚のバルコニー」のあいの子で、松田聖子の歌みたいですね。

ホントにどうでもいいですね。。。


さて、資料館の中に入って2階にあがると昔ながらの教室がそのまま残っていたりします。

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ムムッ?タラちゃんが使った机?

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波平と舟?

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実はサザエさんで、この小学校跡を中心に登米が舞台となったお話しがあり、その時番組でタラちゃんやら波平・舟が座った机なのだそうです。

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なるほど。


中にはこんなリアルな展示がされている教室もありました。

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ここでは明治の衣装に着替えて写真撮影をすることもできるらしく、中学生くらいのきれいな女の子がバルコニーで記念撮影をしていました。

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「群馬の夏目雅子」と言われていた、僕の高校時代の彼女に似ていて、消えかけていた恋心がちょっとだけキュンとしました。

はい、次。


旧校舎の裏には、現在の登米小学校がありました。

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新たに土地を調達して、別の場所に新校舎を建てるのも大変だったとは思いますが、よくぞ旧い校舎を残してくれました、という感じですね。



「みやぎの明治村」だけあって、登米は町の中にも歴史的な見どころがあります。

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町中には武家屋敷跡が並ぶ通りがあり、沿道には水沢県庁跡の記念館があります。
かつてはここが岩手南部と宮城北部を管轄する水沢県の県庁だったため、これが当時(明治5年頃)の県庁舎だったそうです。

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これは旧登米警察署庁舎あとで、現在は警察資料館になっている建物。

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市街地にも古い建物がちらほらと残っていました。

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仙台まで直通する高速バスがあるのですが、時間があったので、ご当地グルメと紹介のあった油麩丼(あぶらふどんぶり)っていうのを食べてみます。

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ⓒ登米市商工観光課

なんでも、登米町の名物である「油麩」を使った甘口の丼で、イメージは「カツどんのカツの替わりに油麩を使ったもの」。
旧登米町内でも10軒以上のお店で食べられるのだそうです。
そもそも油麩というのは、登米地方に昔から伝わる食材で、小麦粉のたんぱく質成分のグルテンを油で揚げて作ったあげ麩です。

簡単に言うと、要は「お麩」ですね。

甘くておいしいのですが、普通はがっつり肉とか天ぷらとかがあるところにのっているのが、このヘルシーな「お麩」なので、肉食女子には物足りないでしょうね。

まー日頃から天使のような草食男子、と呼ばれている僕は、肉食女子と連れ歩くことなんかないので、全く問題ないのですが。
(とか言って実は登米肉子という超米食だか超肉食だかわからない女子と一緒に回ってたりしたら笑いますね)



登米を出ると、いよいよ本当にこのシルバーウィークの旅も終わりです。
仙台に向かう高速バスの窓から、まるで細長い湖のように雄大な北上川が見えていました。

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最初はテキトーな旅立ち方でしたけど、意外に充実してましたね。特に後半は。

6日間の旅が、このブログではその3倍の18回シリーズになっちゃったくらいですからね。
そう、けっしてネタがないから引き延ばしていたわけじゃございませんよ。



<2015年9月23日(水)訪問 / このシリーズ 完>



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