采女、杖衝坂、佐佐木信綱先生【東海道テキトー完歩 四日市~石薬師宿】 

 2015-12-16
休みに九州、9月のシルバーウイークに北海道、とそれなりに長い旅が続いていたので、年内はもうしばらくおとなしくしてようかなあ、と思っていたのですが、北海道から帰ってきたあたりから体調がイマイチ、って感じだったのです。

夏の終わりはいつもなんとなく疲れが出てイマイチな感じになりやすので、例年はちょうどそのタイミングで北海道に出かけて、完全復活して帰ってくる、というパターンなのですが、今年は夏休みの旅行が終わってすぐ、要はイマイチになる前に出かけてしまったので、北海道から戻ってからイマイチ君がやってきたのかもしれません。

そんなわけで、これまたどこかに出かけないと体に良くない、案ずるより産むがやすし、ってことでこれまたすぐにやってきた10月の3連休に体調リカバリーの旅に出かけることにしたのです。


3日間、秋のベストシーズン、今からでも宿がとれるところ。。。と考えて、東海道テキトー完歩の鈴鹿峠越えにチャレンジしてみることにしました。
鈴鹿峠は箱根越えに比べればずっと楽ではありますが、伊勢と近江の国境を越える東海道の難所でもありますし、峠越えの前後は何もない区間が長く続くので、暑くもなく寒くもなく、かつ万一多少迷っても大丈夫そうな今の季節がベストだったのです。



出発の前日の夜、なんとなく遅くまで仕事をしていてそのまま飲みに行ってしまったので、夜中の12時に帰宅して2時に寝て、4時に起きて6時の始発の東海道新幹線に飛び乗る、という慌ただしさ。どこが体調リカバリーの旅なんだ!って感じですね。。。


さて、前々回のテキト-完歩(今年のGW)の時に、三重県内は四日市の先まで歩いていたので、今回はその続きから。
覚えてますか?この小さな電車。

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四日市あすなろう鉄道ですよね。  参考: 前回ブログ 四日市あすなろう鉄道 編

ちなみにこの小坊主は「こにゅうどうくん」でしたよね。四日市が誇るゆるキャラです。

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四日市あすなろう鉄道は、ナローゲージと呼ばれる細い線路が特徴で、車輌もそれに合わせてめちゃくちゃ細い(狭い)のです。

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前回は四日市市内から、旧東海道に沿ってこの四日市あすなろう鉄道の終点、内部(うつべ)駅まで歩いていたので、今回はこの電車で内部まで行って、そこから旧東海道に入ります。

内部駅を出て内部川を渡り、国道1号線を横切って、ごみごみとした住宅地の中の旧道をしばらく進むと、やがて目の前にあった山が迫ってきて、東海道の難所の一つであった杖衝坂(つえつきざか)が現れます。

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今、こうしてみると確かに急な坂がしばらく続く場所ではありますが、まあどーってことないのです。
しかしここにはいろいろな故事があるようで、なんと三重県の名前の由来はここにあるんだとか(知らなかった&わりとびっくり)

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なんでも、ヤマトタケルが東征の帰りに伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登り(「杖衝坂」の名前の由来)、

『吾足如三重勾而甚疲』 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)

訳すと「私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた」 と言ったのが「三重」の名前の由来なのだそうです。
ホントかなー
そんな弱音が都道府県名になっちゃってていいのか?三重県?

でもちゃんと日本武尊の碑もあるんですよね。
ここは血塚社と言って、日本武尊が出血した足を洗い流したところと伝えられています。

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ま、芭蕉もここで落馬して一句詠んだみたいだし、昔はもっと激しい坂道だったのでしょう。


僕的にはそれより興味があったのはこの看板。

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「采女」というのは、古代、朝廷に仕えて主に天皇の食膳の奉仕をした女官のこと。その多くは地方豪族の娘で、朝廷への服従の証拠として地方豪族が自分の娘を采女として、差し出していたからのようです。
食膳の奉仕とはいえ、天皇の側に差し出されるくらいなので、容姿端麗かつ才媛だったと言われています。
結果、食膳の奉仕だけでなく、食後の奉仕まで・・・(以下ムフフ)ということも多かったのではないかと推察(妄想)されます。

采女というのはこのあたりの地名なんですが、「このあたりから多くの采女が輩出されたという史実も多く、古代の三重県は美女の多い土地柄であったと言えるかもしれません」的なことが三重県史にも書いてありますが、ホントかなー
かなりテキトーで僕並みの妄想っぽいことを、いけしゃーしゃーと県史で言っちゃっていいのか、三重県?


そんなわけで、こんなのも見つけました、コーヒー采女。

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店員はもちろん采女装束の、まばゆいばかりに秀麗な若い女性ばかりで、店に入ると「お帰りあそばせ、大君」みたいなこと言ってくれるのかなあ。
コーヒーもわざわざテーブルまで持ってきて、横に座ってドリップしてくれたりして。

まあ、そんな感じで、一種の古代朝廷版メイドカフェみたいなものなのかな、と妄想していたら、外見はよくある普通の喫茶店でした。中身はわかりませんが。


さて、采女のあたりからしばらく国道1号を歩き、四日市市から鈴鹿市に入るとやがて石薬師宿へと入ります。

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石薬師は、明治から昭和にかけての歌人であり国文学者であった佐佐木信綱さんの故郷なのだそうです。
佐佐木信綱という名前、僕も以前どこかで聞いたことあったので、信長の野望に出てくる武将かなーと思っていたのですが、大きな勘違いでした。
スミマセン、昔、大学時代の研究室に佐佐木信綱先生の本、たくさんあったの忘れてました。。。(国語国文学専攻だったので)

そんなわけで石薬師の宿場沿いの通りは信綱かるた道と言って、家々の軒先に信綱作品がこうして飾られています。

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石薬師宿の本陣であった小沢本陣跡

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小沢本陣を過ぎてしばらく行くと信綱の生家があり、その横に佐佐木信綱資料館がありました。
僕は大学時代、それはそれはたくさんの信綱先生の本に囲まれて過ごしていたので、今回はパス。読んだことはなかったかもしれませんが。

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その隣りにある石薬師文庫。
これも信綱先生が寄付した建物で、今は地域の小さな図書館として利用されているようです。

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石薬師は今は合併して鈴鹿市の一部になっていますが、もともとは石薬師町として独立していた町でした。それにしてはとても静かな場所で、おそらく旧東海道の僕が歩いたところが町の中心部だと思うのですが、商店街とか繁華街が全然ないので、町民みんなが佐佐木信綱先生のように思える、とても文化的な感じがしました。

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この先が、宿場の名前の由来となった石薬師寺となります。


<10月10日訪問/つづく>



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『東海道テキトー完歩』とは・・・・・
 とある本に触発され、旧東海道に沿って五十三次、約500㎞をテキトーに、しかし完歩しようという試み。

時間がある時にぶらっと出かけて、気の向くままに歩くシステム。歩く順番もランダム。よって何年かかるか不明。
名所旧跡を語るより、街道沿いの人々や風俗(変な意味ではない・・・と思う)、B級スポットなどを、ときどき妄想なんかも入れながら紹介する滑稽本(になったらいいな)。





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