日本一不器用で口下手なこいのぼり祭り 前編【ぐんまちゃん紀行・神流町】
2016-05-02
「未開の地グンマー」と呼ばれる群馬の中でも筋金入りの山奥、「日本のチベット」と言われているのが、県の南西部を占める奥多野と呼ばれる地域。ここ、実は僕の実家から近いのです。
というか僕の実家のある藤岡市がこの奥多野からはるばる山を下りてきた場所にある最初の町なのです。
1985年、日航ジャンボ機が墜落したあの御巣鷹山が、この奥多野の一番奥の方にある、と説明すればイメージわきますかね。
幾重にも重なった山々が延々と続く中、わずかな谷間の平地に人々が細々と暮らしているところ、それが奥多野の特徴です。
東西に細長い奥多野のちょうど真ん中あたりに神流町(かんなまち)とよばれる小さな町があります。
長野県境を源流として、奥多野地域を流れる神流川(かんながわ)からとられた名前です。
この神流町の中心部では、5月になると対岸の山と町側に長いロープを張って、神流川の上に大きなこいのぼりを泳がせるのです。

4月24日の日曜日。
この日、今年のこいのぼりが川に渡されるということだったので、行ってみることにしました。
神流町の中心部まで僕の実家から30数キロ。
山の中を延々と進むので、心理的にはかなりの距離感があるのですが、数字的にみるとさほど遠いところではありません。
クルマで行けば1時間足らずなのですが、今日はあえて路線バスでチャレンジしてみました。
高崎線の新町駅から藤岡市を経由して奥多野方面に向かうバスは「かんながわ号」と名付けられていて、2時間30分もの長距離バス旅が楽しめる、知る人ぞ知る路線バス。
そう、路線バス好きの僕は、一度このバスに乗ってみたかったのです。

かんながわ号には土日休日は1日フリーパスがあって、これがお得なのです。
全線乗ると片道2000円以上かかるのですが、このフリーパスは1500円。今回の区間を往復するだけでも十分オトクなのです。

今回は時間の関係で最奥地の上野村には行けなかったのですが、この先にも恐竜の足跡とか不二洞と呼ばれる関東一の鍾乳洞があるので、今後もバンバンこのバスに乗って旅しますよ!
さて、家の近くのバス停から「かんながわ号」に乗って30分もすると、奥多野地区に入ります。
今は合併して僕の住む藤岡市の一部となっていますが、かつては「鬼石町(おにしまち)」と呼ばれた町の中心街を抜けると、バスは急な坂道を登り始めます。
やがて見えてくるのが「下久保ダム」

これは神流川の中流をせき止めてできたダム。
このあと20分ほど、バスはこのダムに沿って走ります。
こんな感じでなかなか美しい車窓風景が、しばらくの間続きます。

複雑に入り組んだダム湖の入り江に沿って進み、だんだんと湖幅が狭くなり、神流川がまた元の清流に戻るころ、バスは藤岡市から神流町へと入ります。

神流町の中心部、万場のバスターミナル。
ここで「かんながわ号」をおります。

合併前は「万場町(まんばまち」と言われていたところの中心部で、国道沿いの100mくらいには今でも市街地らしき商店街があります。

バス停前からそのまま川のほうへ向かう道を進むと、こんな看板が。
神流川のさらに上流に行くと日本で初めて「恐竜の足跡」として認められた化石があるのです。

そんなわけで神流町は知られざる「恐竜の町」でもあるのです。
福井の恐竜博物館と比べるとその知名度は雲泥の差ですが。
やがて神流川にかかる橋の上に出ると、目の前に見えてきました。
数えきれないくらいの、たくさんのこいのぼりが。

うぉー、これがずっと見たかった川を渡るこいのぼりだー!

このとき僕は、このこいのぼり群を見るのは初めてだとすっかり思い込んで、しきりに感動していたのですが、あとでFBでつぶやくと、友達に「昔行ったよねー」と言われてしまいました。
うーん、そういえば昔、浪人時代に予備校にも行かず原チャリ乗り回して群馬のいろんなところに行きまくってたような気もするなあ。
しかしまあ、とにかくこのこいのぼり群、素晴らしいんですよ。

つづく
<2016年4月24日訪問>
ぐんまちゃん紀行とは・・・・・
父親が亡くなって群馬の実家には母親がひとり残されてしまったため、当面の間、週末のように群馬に戻らなくてはならなくなった僕が、群馬に帰った隙間の時間を利用して、新しい発見を探す、ちいさな旅。
「ぐんまちゃん」とは群馬県のゆるキャラ。
都道府県魅力度ランキングで常に最下位争いをしている群馬にしては奇跡的に、この「ぐんまちゃん」がゆるキャラサミットで1位を獲得したことへの敬意を表してそんなシリーズタイトルにしています。
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