透明人間/月へ
2014-09-10

帰り道、月があまりにもきれいだったので、公園のブランコに座ってひとり、お月見をしていたら、僕はいつの間にか透明人間になってしまったようでした。
月の白さに吸い込まれるように、時間も忘れて見とれてすぎていたからかもしれません。
透明人間になったのは生まれて初めてのことでしたが、僕はとりたててびっくりすることもなく、不思議なくらい冷静でした。
公園のすぐわきにある、33階建てのタワーマンションからやってきた小さな女の子が、まっすぐにこっちの方に駆けてきて、僕の座るブランコの上にひょい、と腰掛けても、まだ若い彼女の母親が、僕の背中をやさしく押しだすかのようにブランコをゆらゆらと揺り動かしても、もちろん僕は透明人間ですから、彼女たちに気づかれることもありません。
「お月さまがまんまるだね」
まだ自分ではブランコを上手にこげない小さな女の子が、背中を押すお母さんの方を向いていいました。
「うんうん。まんまるできれいだね」
ゆりかごのように心地よい揺れに身を任せて、僕はふたりのそんな会話を聞いていました。
「お月さまには何があるのかな?おうちはあるのかな?」
「お月さまにもおうちがあるよ。きっとうさぎさんが住んでると思うけど」
「うさぎさんのおうちもあるの?じゃああすかの知ってる人も住んでるのかな?」
「さあ、それはどうかなあ・・・知ってる人が住んでれば、今度お月さままで遊びにいけるけど、遠い遠いところだからねぇ・・・」
「じゃあパパのおうちはお月さまにあるのかな?遠い遠いところなんでしょ?」
お月さまを見上げる、その若い母親のツンと上を向いた小さな鼻を十五夜の透明な光が静かに照らしていました。
彼女たちの部屋は、タワーマンションの上層階の、眺めの良い2LDKでした。
ダイニングテーブルの上には、大きなお皿と小さなお皿が1枚づつ、そして二人分のカレーが入った小さなお鍋がありました。
彼女たちはふたりっきりで、でもとても楽しそうにそれを食べ終えると、手をつないでバスルームへと消えてゆきました。
バスルームからは、楽しそうな嬌声が聞こえてきました。僕はいてもたってもいられなくなり、少しの罪悪感を感じながらも、洗面所に足を踏み入れると、磨りガラス越しに母親の白く滑らかなうしろ姿が映し出されていました。足元の洗濯カゴには、ちいさな白い下着と、薄いレースの黒い下着がきちんと折りたたまれて置いてありました。
母親は女の子が寝静まるまで、布団のそばで彼女の背中をトントンと指先で包むようにたたきながら、とても素敵な、お月さまのお話をしてくれました。
お月さまはね、とっても遠いところにあるの。
だから歩いては行けないし、お月さままでの電車も、バスも走っていないの。
いつかみんなが乗れるロケットが発明されたら、誰でも行けるようになるかもしれないけど、まだそれはずっと先のことなの。
でもね、お母さんはひとつだけお月さまに行く方法を知ってるの。
それはね、透明人間になって、飛行機みたいに風に乗って、お空を泳いでいくことなの。
でも、透明人間には、なかなかなれないんだけどね。
1年に1回、お月さまが本当にまんまるで一番きれいな夜に、お月さままで本当に行きたい、と強くお祈りした人しかなれないみたいなの。
でもね、頑張って透明人間になって、お空をぴゅーっとひとっ飛びして、お月さまに着いたらね、遠い遠いところに行ってしまった人に、会えるんだって。
だからいつかふたりで、お月さまにお祈りしてみようね。
女の子が寝静まると、母親はひとり布団から抜け出して、白いバスローブを羽織ったままで30階のベランダへと出てゆきました。昼間はまだ残暑に汗ばむ季節とはいえ、仲秋の22時に、まだ乾ききらぬ髪を結わえたままのそのうしろ姿は、ちょっと肌寒いように見えました。
天頂には、白から黄金へと色を変えた月がありました。
彼女はバスローブをそっとすり落とすと、黄金色に輝く身体を、惜しげもなくさらけ出しました。
それはまるで月に住む誰かと、何かを確かめ合っているかのように見えました。
しばらくの間、彼女はちょっと泣いて、でもすぐにあの小さな鼻をちょっと上に向けて、十五夜の月明りが織りなす美しい影を、僕に見せてくれました。
なぜかわからないんだけど、僕の方が先に透明人間になっちゃったみたいでごめん。
でもきっと来年は君たちふたりが透明人間になれると思うよ。
そうして、お月さまで大事な人に会えるといいね。
だから毎日、いつも空を見ながら、歩いたらいい。
君のその、ちょっと上を向いている姿が、とても美しいから。
でも僕はお月さまで、いったい誰に会えるんだろう?
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