目覚めよ、若者!恐怖の夜汽車3連泊【青春18たび 1982年春‐3】
2015-03-27
前編-1 君は「青春18のびのびきっぷ」を知ってるか?前編-2 サヨナラ模様とか、夜汽車とか
前編-3 幽玄な飛騨川とか、女湯展望列車とか。
1982年3月27日の朝。
旅立ってからまだ2日目なのですが、前日の0時から車中2連泊でずっと移動を続けているので、まだ2日目?って感じです。
この日は木曽路を抜けて、松本、長野へと向かいます。
名古屋発6時26分の中津川行きに乗車。
ようやくあたたかな列車に乗りこんだ僕たちは、中津川まで束の間の睡眠を貪ります。
中津川で乗り換えて南木曽駅に8時32分に着き、妻籠までタクシーで向かったようです。

贅沢だなー、タクシーだなんて。歩けよ、若者!
30年後に歩いても1時間くらいなもんだったぞ。
タイムマシンがあれば、きっとそう叱咤激励していたことでしょう。
でもまあ、体力はあり余っていたはずなので、日程的にかなりの強行軍で、きっと時間がなかったんだと思います。
30年後(2012年)に僕が妻籠を再訪したときに撮った写真。


たぶんここは当時と雰囲気がそう変わっていないと思います。
脇本陣奥谷というところの資料館に入った記録が残っています。
妻籠を見た後は、10時13分発の各駅停車で木曽路を一挙に抜けて松本へ。
途中やはり眠くてところどころでウトウトしていたので、上松駅の手前、奇岩が続く「寝覚の床」のあたりでも一瞬目を開けたのですが、またすぐにウトウトしてしまったような気がします。
「寝覚の床」という名称は、あまりの美しさに、早朝で寝ぼけていた旅人の目が覚めてしまった、的な由来なのかと思っていたので、「全然寝覚の床じゃないじゃん!」と思っていたのですが、よく調べてみるとそういう由来ではないようです。
なんでも浦島太郎が竜宮城から帰ってきた後、ここで玉手箱をあけてしまい、夢から目が覚めた、という伝説からここが『寝覚の床』と名付けられたようです。
12時19分に松本着。

松本到着後は、国宝松本城を観覧した模様です。写真は絵はがきですが。

このあたりからメモがだんだん少なくなってくるので、残っているスタンプとか拝観入場券、写真などをベースに多少憶測も入れて書くことになります。
13時52分松本発で長野には15時22分着。
昔の長野駅舎は確かにこんなんでしたね(写真は絵はがき)。

なんだか長野電鉄の超ビッグな入場券を売ってたので買ったようです。

そしてスタンプ。

&善光寺。この写真は31年後の2013年に再訪したときの写真ですが。

そして夕刻、恐怖の車中3連泊目。
18時30分長野発の新宿行き上り夜行鈍行列車に乗り込んだ僕たちは、再び深夜の中央本線初鹿野駅で下りの夜行列車に乗り換える、という荒業に挑戦したのでした!
<1982年3月27日訪問 つづく>
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