1982北海道‐2 日本海を1日で縦断【高崎‐青森‐函館】
2015-06-26
1日目 高崎046(車中泊)→長岡445/514→新津6:14/6:36→村上811/823(急行)→酒田1018/1059→青森1940/1950(青函連絡船)→函館2340/2351→(車中泊)上越線の長岡行き夜行普通列車に高崎駅から乗り込みます。
この列車は上野発なので、真夜中に途中駅から乗り込む形になります。当然乗客はすでに大半が眠っていて、たとえボックスシートに空席があっても、そこに横たわったり、足を伸ばしたりで、ほとんどの座席は占領されている状態で高崎駅に到着します。
そんな列車に途中から乗ろうとするなんて、やっぱり若さですね。
メモ帳には特に座れなかった云々の記載がないので、たまたま高崎で下車した乗客がいて、うまく座れたのでしょうか?
この列車に乗っている時間は4時間程度なので、おそらくまともに眠れないまま長岡に着いて、新潟行きの列車に乗り換えたのだと思います。
乗り換えの新津駅の写真が残っています。
上越新幹線開業、という文字があります。そういえば上越新幹線は東北新幹線とともにこの年の秋に開業したんですね。

新津発6:36の普通列車で村上へ。
メモを読むと、赤くて比較的新しい客車列車だったようです。
村上からは酒田までの区間、この旅で唯一の急行列車「羽越1号」に乗車しています。
もちろん青春18きっぷでは特急・急行には乗れないのですが、急行料金のほかに普通運賃を払ってでも、この区間を急行に乗ったのは理由がありました。


下の時刻表をご覧いただくとわかるのですが、急行「羽越1号」に乗ると、その前を走っていた青森行きの普通列車に酒田で追いついて乗り換えることができ、その結果、青森19:50発の青函連絡船にギリギリ間に合うのです。
この青函連絡船に乗ると、函館から札幌行の夜行列車にこれまたギリギリ間に合い、2日目の朝には札幌に到着できるのです。

逆に言うと、この急行に乗らないと、青函連絡船の中で夜を明かして札幌に着くのが翌日の15:51、結局9時間も遅くなってしまう、ということで、ビンボー学生ながら苦渋の決断でこの選択をしたのだと考えられます。。。
この急行「羽越1号」で乗った区間は、日本海側を走る羽越本線のハイライト。
笹川流れという奇岩の続く海岸線がしばらく続きます。


酒田で前を走っていた新津発青森行きに追いつき、乗り換えます。
しかし、この列車、すごいですね。新津を朝5:38に出て、青森到着は19:40、都合14時間の超長距離鈍行列車です。車両も銀河鉄道999みたいな茶色くてボロボロの客車。でも昔はこんな列車もたくさんあったんですよね。
途中、秋田で22分停車、東能代22分停車、弘前16分停車という感じで、ところどころで休みながらのんびりと進む長老、という感じの列車でした。

奥羽本線の大久保駅。
なんで大久保駅か、っていうと「大久保先生」という僕たちの間で人気の名物教師がいたので、その先生に敬意を表してちょっと長い停車時間を利用して記念撮影したんだと思います。
ここには載せませんが、駅名標の前で満面の笑みで記念撮影している写真が残っていました。
アホですね。

青森到着は19:40
青函連絡船は19:50ですから、乗り換え時間が10分しかありません。
青森駅が近づくと、車掌から青函連絡船の乗船名簿が配られ、そこに住所・名前を記入して乗船時に提出するよう言われます。
やがて連絡船に乗る乗客が、ぞろぞろと車内を歩いて列車の一番前に移動をし始めます。
青函連絡船の青森桟橋へは、長いホームの一番北(進行方向先頭側)からの乗り換えになるからです。
♪ 北へ向かう人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを聞いている ♪
津軽海峡冬景色の歌詞じゃないけど、連絡船時代の青森駅(北海道側は函館駅)でよく見られた懐かしい光景です。
まあとにかく初めての青函連絡船「摩周丸」に乗り込んで、僕たちはとうとう津軽海峡を渡ったのでした。
天使のように無垢で無知で穢れのなかった僕たちは、その船内の豪華さに驚嘆した、とのメモが残っています。
「売店、シャワー、電話、食堂、サ店、なんとテレビゲームまであり、娯楽室もある!その豪華さにびっくりした (原文ママ)」
青いですね。
サ店って死語だよ、サ店って。

函館着23:40
今度は函館発23:51発の夜行鈍行札幌行に乗り換えです。
11分という乗り換え時間の短さはまあ何とかなるとして、夜行列車に発車直前に飛び乗る、ということは座席の確保は運次第、ということなのですが、そこもあまり深く考えていなかったんでしょうね。
30分も1時間も前から並んで待って確実に座席を確保するよりは、とにかく効率よくさっさと移動する、というほうが優先されていたのでしょう。
案の定、乗り込んでみると座席はほぼふさがっています。
仕方なく洗面所のところに立っていると、親切なOLふうのおねーさん4人が、もう降りるから座っていいよ、と4人掛けのボックスを譲ってくれました。
「それとも私たちと一緒に、大沼公園のロッジに泊まる?うふっ」
というのはいつの間にか僕が頭の中で作り上げた妄想で、メモを見るとホントは親切な老人4人に席を譲ってもらったようです。
昔の人は、こんなビンボー若者旅行者にみんな優しかったのでしょうか。
それとも僕が天使のように穢れなく美しかったからなのでしょうか?
列車は明かりひとつない、真っ暗な闇の中を、札幌に向けて走り続けます。
<つづく>
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