1982北海道-5 狩勝峠とか音威子府タワーとか【新得-富良野-旭川-音威子府】
2015-07-04
前編 美留和の彼女に会うこともなく 【浜小清水~新得】
4日目:新得1057→富良野1244/1542→旭川1717/1730→名寄2002/2152→音威子府2258(駅泊)
この日はなんだか余裕のある日程になっています。
メモを見ると、新得の出発も朝遅いし、富良野に3時間も滞在しているのです。その分夜は23時近くまで移動し続けていますが。
新得の記憶はあります。
というか写真がたくさん残っていました。
こんな写真とかー

こんな写真とかー

うぉ~~~撮り鉄かぁ!
新得といえば、昔は国鉄日本3大車窓と言われた狩勝峠のふもとの駅で、今でも新得から峠にかけての根室本線や石勝線の一部からは雄大な車窓が望めることで有名です。
たぶんこの時は、一緒に行った仲間に写真好きがいて、新得駅から10キロくらい歩かされて、峠の途中まで行って写真撮ったんだと思います。
僕の写真は撮り鉄に比べたら、ほら、ボケボケですね。

ちなみに僕のプロフィール写真(下)は、その30年後に、この狩勝峠を走る普通列車に乗っている時に自撮りしたものですよ(笑)

さて、そのあとは新得から、その狩勝峠を越えて富良野に向かいました。
しかし、富良野で3時間、何をやっていたのか、が全く思い出せないのです。
メモも残ってないんですよ。
メモにも残せないことしてたのかなー(笑)
当時富良野は「北の国から」が放送された直後で、今ほどではありませんが、ちょっと注目されはじめた頃だったのでしょうか。
でも僕がドラマのロケ地だった麓郷に初めて行ったのは大学1年の冬だったので、それでもないんですよね。
美瑛のスタンプは残っていますが、美瑛あたりの丘に行ったのかな?

うーん、ホントに謎です。ゴメンナサイ。
この旅2度目の旭川も、またもや駅を出ることもなく乗り換えのみで宗谷本線へと入ります。
途中の比布(ぴっぷ)駅。
そういえばこの駅を使ったピップエレキバンのCMが流れていたので、この駅は日本中でちょっとした有名駅だったのです。

士別駅スタンプ。
この頃はスタンプが2種類ある駅もたくさんあったんですね。


名寄で1時間半時間があるので、おそらく銭湯にでも行ってるのでしょうが、この時の名寄の町もまったく記憶にありません。。。


恒例となった今日の駅ホテルは、音威子府駅。
読めますか?この駅名。

「おといねっぷ」ですね。
アイヌ語駅の代表みたいな名前ですね。

音威子府も宗谷本線の夜行急行が深夜に発着するので、24時間駅は空いているだろう、という理由で選んだわけです。
新得もそうですが、この駅にはその後、大学時代にも2回くらい泊まっているかもしれません。
当時、音威子府の駅前には「音威子府タワー」という巨大なトーテムポールが建っていました。
これは、音威子府に住みついて木の工芸品を制作していた砂澤ビッキというアイヌの彫刻家が造ったもの。
音威子府は昔から林業も盛んな土地だったので、「木と匠の村」音威子府としての象徴でした。

夜中について、早朝出発だったので、この時の写真は残っていないのですが、音威子府タワーは残念ながら1990年頃の嵐で倒れてしまい、今は村内の筬島(おさしま)地区にある、アトリエ3モアというミュージアムに一部が残っています。

音威子府村の人口、この時、約2000人、今の人口は約800人で、北海道の中でも一番人口が少ない市町村だそうです。
消えないでほしいですね。こういう村は。
<つづく>
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