北欧とかクロアチアとか気仙沼ニッティングとか【気仙沼 2016海中貯蔵の旅-2】
2017-02-01
前編「酒と貝と女克服の旅 第2章」
目覚めると、そこは北欧のストックホルムでした。

「日の出前の、この冷たい霧が好きなの、ストックホルムの」
僕の横にはいつの間にか美玲がいて、僕は体の左側に彼女の冷たい肌を感じていました。

僕が選んだのは美玲だったのか。
まだ覚めやらぬ頭でボーっとそんなことを考えていると、やがて東の空からゆっくりと、しかしその動きは肉眼でもわかるくらいしっかりと、太陽が上り始めました。

港がだんだん金色に染まっていくと、僕はいつの間にかクロアチアのドブロブニクにいることに気づきました。

「ね、朝日があたると、まるでアドリア海の真珠みたいに輝くでしょ?」
いつの間にか僕の隣りにいるのはガッキーに変わっていたのでした。
寒いけど、もう起きなきゃね。
そういいながら彼女は布団の中で恋ダンスをはじめました。

と、いうことは、はるかはどこにいっちゃったんだろう?
僕は急に心配になってベッドから飛び起きると、窓の外はまたいつもの気仙沼に戻っていたのでした。

「ねえ、朝ごはん食べに行こうよ」
はるかは下着の上に僕の大きめのシャツだけを羽織って、窓の外を見たまま振り返らずにそう言いました。
一体これはどういうことなんだろう。
まあ、去年は目覚めたとき誰も横にいなかったことを考えると(⇒港町の仕事ちょいのぞき)、たとえそれが夢であろうとも、今年は3人もいたんだから、今回は女の克服もした、ということにしていいんじゃないでしょうか。
というか、頼むから克服したことにしてくれ!
~~~~~~~~~~~~~~
この日は自由行動だったのですが、復興に向かい、歩み始めている気仙沼の「今」と「これから」を巡る、特別にアレンジされたオプショナルツアーあったので、それに参加することに。
今回のツアーのガイド役は、気仙沼市内のバレエスクール「気仙沼バレエソサエティ」の代表、高橋知子さん。
知子さんは、東日本大震災で当時のバレエスクールの代表であり素晴らしいバレエダンサーだった親友を亡くし、使用していたスタジオや設備も全てが流出してしまったため、もうここでバレエを続けるわけにはいかないと思っていたのだそうです。けれども親友の残されたご家族や教室の子どもたちから、もう一度、気仙沼でバレエを、という声を受け、自身の家の再建や生活もままならない中で活動を再開したのです。

バレエスクールの再開、そして震災翌年11月の追悼公演。土地からスタジオから全部自分の名義で建て替えての再スタート。
震災からの復興の語り部として乞われた知子さんは、そうしたご自身の経験を話すうちにだんだんと自分自身が癒されていくのと同時に、気仙沼の魅力にも改めて気づいたのだそうです。
そして現在は「気仙沼つばき会」という、気仙沼を心から愛するの女性たちによる有志の会の中心メンバーとして活動し、気仙沼を広くPRしたり、地元のイベントを盛り上げたりしていて、今回のようなツアーでもガイドをしてくれているのです。
こういう人たちがたくさんいるのが、気仙沼の奥深さですね。
さて、この日のツアーの中で僕が特に行ってみたかった場所がここ。

まるで気仙沼の海のように真っ青な外観のこの建物は「気仙沼ニッティング」のショップ「メモリーズ」。

気仙沼ニッティングは気仙沼の女性たちが手づくりした最高級のニットを製造・販売する会社で、この「メモリーズ」は土曜日と日曜日だけ開く直営店。

創業者は東大経済学部を卒業し、コンサルティングファームのマッキンゼー・アンド・カンパニーから転じた御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さん。
ブータンの初代首相補佐として観光産業の育成を主導していた御手洗さんは、東日本大震災をきっかけに日本に帰国し、自ら東北に入って復興支援をしつつ、地域の経済的な自立支援について考えていたのだそうです。そんなとき、震災以来気仙沼に寄り添ってきた『ほぼ日刊イトイ新聞』の糸井重里さんに誘われたこともあり、この気仙沼ニッティングの社長になったのだそうです。

ここで作られるのは、最高級のニット。
編みものなら、編み針と毛糸だけで、被災地の気仙沼でもすぐにでも始められる。でもどうせ始めるなら、バザーで買えるようなものじゃなく、ハードルは高くても、最高と思えるものからスタートしよう。

御手洗さんのそんな思いが見事に当たり、ここで作られる15万円のニットは全国から注文が相次いで、今でも順番待ちとなっているのだそうです。

この気仙沼ニッティングの商品を編んでいるのは、気仙沼に住む編み物上手なお母さんたち。
それぞれの商品は、編み手の顔が見えるようになっています。

この気仙沼ニッティングは初年度から黒字を計上し、納税も、もちろんここ気仙沼で行われています。
今では、被災地でも地域の経済に大きく貢献した象徴的な成功事例として語られているほど。
「被災したかわいそう人」のための事業ではなく、自分たちの力で稼ぎ、地域の経済を回している、という点が素晴らしいですよね。
せっかくなので僕もはるかと美玲とガッキーにマフラーの一つずつでも買ってあげようかと思いましたが、残念、2つしかなかったですね。。。

あ、ふたつあるんだったら嫁と娘に買って帰れよ、って話ですね・・・
<2016年 11月20日訪問 つづく>
行きたくなったら1票ずつお願いします(笑)→


よかったら、また来てください! → http://mousoukiko.blog.fc2.com/','日本に、もっと恋する旅')" value="お気に入りに追加">
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