中津祇園の宵/酔い
2019-09-21
よかったら、見に来てね。朝車の日。踊りますから。

そんなメッセージとともに1枚のチラシが添付されたメールを発見したのは、まだ梅雨も明けきらず、この時期にしてはびっくりするくらい過ごしやすい日々が続いていた7月上旬のこと。
しかもそのメールの着信は一年前の6月下旬の日付でした。
それはもうずっと前に僕が使っていた古いメールアドレス宛だったので、最近はほとんど開くこともなく、その日は昔のメールを探すために2、3年ぶりにたまたま開いたのでした。
差出人の名前を見ても僕は最初はそれが誰からのメールか気づきませんでした。
けれども添付されたファイルを開き、そこに「中津」の文字が現れたとき、僕の記憶にあるひとりの女性の面影がよみがえってきたのでした。
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その頃、僕はツアーコンダクターの仕事をしていて、彼女とは大分の中津で出会ったのでした。
東京からの団体客と大分空港に降り立った僕を出迎えてくれたのが、大分のバス会社でガイドをしていた彼女でした。その日は中津から耶馬渓を観光して阿蘇方面で泊まるという日程だったので、おそらく中津の営業所のガイドだった彼女の乗るバスが配車されたのだと思います。
ツアーコンダクターとバスガイドと聞くと、旅先でのロマンスがたくさんあるように思えますが、実際はそれほど親しくなれるわけでもなく、僕もそれまで比較的ビジネスライクに接していました。
そもそも添乗員が1人でバスが1台(つまりバスガイドも1人)というツアーはあまり多くなく、僕の場合、大抵はバスも5台、10台、添乗員も大人数で、といったような仕事が多かったのです。
また添乗員1人、バスガイド1人という組み合わせになっても1泊2日の短いツアーだったりするとせっかく親しくなった頃にはお別れ、ということが多く、よほど何かの運命に魅かれあった2人でなければその先に発展することはありませんでした。
ところがこのツアーはたまたま添乗員が僕ひとり、ガイドは彼女ひとりの2泊3日、しかも2日目の夜はお客さんは博多で自由行動という日程でした。
夕食付きのツアーであれば添乗員ももちろん夕食時はお客さんに付き添い、夜になっても自由はないのですが、この日は夕食が自由行動だったので、僕も博多で自分で食事をしなければなりません。
彼女は日中からしきりにそれを心配してくれました。
せっかく九州に来たんだからおいしいもの食べたいでしょ?ホントは私も自由になればいいんだけど、と。
そう、当時(今はわかりませんが)バスガイドはドライバーと一緒に食事をすることになっていたようで、その日も彼女は年配の大人しそうなドライバーさんと宿泊ホテルのレストランに夕食が用意されていたようでした。
耶馬渓や阿蘇草千里、熊本城に水前寺公園。
2日間、お客さんがバスから降りて自由散策に出かけると、僕たちはバスの前でその帰りを待ちながら、次第にいろいろなことを話すようになりました。
彼女は僕よりいくつか年下でしたが、特に結婚について悩んでいるようでした。
「そうや。ちょっと遅くまで待っちょってくれるんなら、中洲を案内してあげる。ご飯早くたべて、早く終わらせるけん」
これが2日目のマジックなのか、と思いました。
1泊2日なら、僕はこの日帰りの飛行機に乗って博多を去っているはずです。しかし今日はこのあとまだ一晩時間があるのです。しかも夜からは(緊急事態が発生しなければ)仕事はありません。
彼女は少し飲みすぎているようでした。
九州の女性はお酒が強いとはいえ、語れば語るほど、焼酎を煽るペースは早くなり、カウンターの隣に座る僕に身を寄せれば寄せるほど、彼女の体温が上がっていくのがわかりました、
本当は、まだ結婚したくない。
彼女は何度もそう繰り返していました。
見合いでもなく普通の恋愛、それも高校時代から長く付き合ってきた相手なので、それに文句があるわけではない。
でも彼は結婚して家に入れと言う。自分はまだ25、せっかく一人前になりつつあるガイドもやめたくない。
今でこそ信じられないような話ですが、20年前の九州ではそれも珍しくはなかったのかもしれません。
僕は大学卒業と同時に始まった遠距離恋愛で時間をかけ過ぎて失敗していたので、結婚は機が熟した時にしたほうがいい、と話すと彼女は違う、と言って僕の口を両手で押さえました。
「だって、結婚したらこげな風にお酒を飲みにでたりできんくなるんで?」
そう言って彼女はそのまま僕に倒れかかると両手を今度は僕の背中にまわしました。
酔いを覚ますために博多駅まで歩く、と言った彼女が力尽きたのは中洲川端から那珂川沿いを歩いている途中でした。
僕たちの目の前で妖しく光るホテル街のネオンは、もうここで観念せよ、と囁いているかのようでした。
僕たちは結局その中のひとつに入りました。このままお客さんの泊まるホテルに帰って、偶然にでも彼女のこの姿を見られてしまう方が危険だと判断したからでした。
部屋に入り、彼女をベッドの上に横たえると、僕も知らないうちに眠ってしまったようでした。
目覚めると僕はスーツ姿のままベッドの上に横たわっていて、真白なシーツの中で少し背を丸めている彼女の肩と背中が目の前にありました。彼女が来ていた制服はベッドの横のソファの上に丁寧に畳まれています。
「ほんとは、そんなに酔ってなかったんよ」
部屋を出るとき、彼女はポツリとそう言いました。
「今日から中津の祇園なんよ」
空港でチェックインを終え、羽田に向かうお客さんが搭乗ゲートに入るのを見送っている時、彼女は言いました。
この日から中津では京都の祇園と大阪のだんじりを混ぜ合わせたようなお祭りがあり、彼女も踊るのだと。
「こんまま中津に来ればいいんに」
そう言って彼女は僕のスーツの右肘の部分をそっとつまみました。
そうだね、このまま中津に行こうか。
そう言ってここに残れればいいのに、と僕は真剣に思いました。
けれどもそんな映画のスクリーンの中のような華麗なエスケープが当時の僕にできるはずもありませんでした。
お客さん全員を見送り、最後に搭乗ゲートをくぐる僕に彼女が最後にかけた言葉がこのひとことだったのです。
「よかったらいつか来てね。
朝車の日、踊りよるけん。待っちょんよ?」
別れ際、メールアドレスを渡したものの、パソコンを持ってないので使えるかどうかわからない、と言っていた彼女との連絡はそれ以来途絶えてしまったのでした。
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あれからどれくらいの月日が経ったのでしょうか。
彼女から僕に初めて送られてきたメールは一年前のものでしたが、せっかくなので返信してみることにしました。
もし今でも毎年彼女が祇園で踊っているなら、今年もあと1ヶ月後にその姿を見られるはずです。
彼女からの返信は意外なほど早くやってきました。
ありがとう。ぜひ中津祇園を見に来てください、
でもあれからずいぶん時間が過ぎてしまったので、私のことわかるかしら。
そんな書き出しで始まった彼女のメールは、こんなふうに続いていました。
お祭りの日に時間を決めてどこかで待ち合わせてもいいんだけど、せっかくだから私のこと、見つけてもらおうかな、と。
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中津祇園のお祭り当日。
祇園車が朝から「コンコンチキチン」という鐘の音とともに中津の旧市内を練り歩き、辻々で停車して民舞を奉納します。

古来、悪霊などは通りの辻や町と町の境界から侵入してくるものと考えられていたため、御神幸で下界にお越しになった祇園の神様に悪霊退治していただこうと、辻々で踊りを奉納するのだと言います。

1台の祇園車には3人から5人の踊り子が乗っているようでしたが、各町内からたくさんの祇園車が出ているため、その中から彼女を探し出すのは至難の技でした。
僕は町中の辻から辻へと駆け回りましたが、その日、結局彼女らしき踊り子を探し出すことはできませんでした。
「ほとんどの町の辻踊りを見たんだけど・・・」
とその夜僕は彼女にメールを送りました。
残念ながら君だと確信できる人は見つからなかったよ。
あるいはあれからずいぶん時間が経っちゃったので、もしかすると見過ごしたのかもしれないけど。

「実は車から降りてしまったんよ。」
そんな彼女からの返信はこう続いていました。
今日はすごく暑かったので、気分が悪くなっちゃったの。
せっかく探してくれたのにごめんなさい。
でも夜になって少し涼しくなったから大丈夫。
これからまた車に乗るので、もう一回探しに来て。
もし私のことを見つけてくれたら、お祭りのあと、また一緒に飲みにいきましょう。
あの時はすいぶん迷惑かけちゃったけど、私、あのあとちゃんと結婚したのよ。
でもお祭りの日だけは朝まで帰らなくても大丈夫だから、遅くからでも出かけられるの。

外に出ると、中津の町のいたるところから「コンコンチキチン」という独特の鐘の音が聞こえてきます。
今もこの古い町の辻々で、奉納踊りが行われていることでしょう。
「今度は酔ったふりもせんし、あんなに酔ったりもせんよ。でもね、祇園の夜は、お酒とは違うと酔い方をするけ、それが心配なんよ。中津の宵っち言うんやけどわかるかな」
なんだか今度こそ彼女を見つけられるような気がして、自然に足が急いてしまうのを抑えながら、これが中津祇園の宵/酔いなのか、と僕はぼんやりと考えていたのでした。
<了>
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